2019年03月27日

グリーンウッドワーク:器挽きとナイフづくり

Img_8023 Img_8020いつか行ってみたいとずっと思ってた、福島にあるグリーンクッドワークの拠点、井丸さんのところで、先週、足踏みろくろでの器挽きと 、鋼と鉄からつくるナイフづくりを学ばせていただいてきました :)

 

Img_7837 Img_7840 器は、1日目はつやつやした柿の木で抹茶茶碗のようなサイズ感の器を、2日目は樹齢400年の山桜の大木から木取りしていただいて、コーヒー 茶碗を挽きました。どちらもこの地で育っていた木々。

 

 
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足踏み式で回すろくろに、斧で粗削りした材を取り付けて、刃物を当てて挽いていくのだけど、これが大汗かきつつの全身運動で。刃先をいい角度で安定して当てることの微妙さが、、、すごくむずかしくて、ほんとにおもしろかった!

Img_7849 束の間、リズムよく挽けたとき、ちょっとα波が出るような?感じがありました。柿も、山桜も、挽きやすい材なんだそうです。やさしい木々なんだなー。んで、すっかりとりこになって挽いてたら、コーヒー茶碗は、いつの間にか薄く挽きすぎてしまってて、縄文土器のような穴が空いていた[E:#x1F4A6] 

でもなんだかそれがとっても気に入りました。コーヒー茶碗にはできないけど、ランプシェードにできないかな?と考えてます。

 

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ナイフは、鋼と軟鉄から刃をつくって、エンジュの幹を割って削って柄をつくり、刃をすげて砥いで、桜の樹皮で鞘をつくりました。鍛冶仕事では、炎の中に置いた鋼の色を見て温度を判断して、作業の中身によって特定の色を目安にしていくとか、火花を見て鋼のクオリティを判断したりすることとかに、魅了されまくりました。

そういう火の言語みたいたものが、あるんだなー!

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トンカン打つ作業はぜんぜんうまくできず、井丸さんにほぼやっていただく形になったけども、刃物ができあがる成り立ちを、最初から最後まで実地で体験できて最高でした。自分でもまたやってみたい!無謀な夢ですが。。どうすればやれるかを考え中です。

井丸さんの拠点は、生活全体がグリーンウッドワークと共にあって、普段使いの生活道具のひとつひとつや空間そのものが味わい深くて。

 

そのなかで一緒に生活させていただきつつ作業に取り組んでいられることが、幸せでした。。奥さまのじゅんこさんが丁寧に手作りしてくださるごはんも、毎回さまざまな木の器に盛られていて、それを手道具で作ったいろんな木の椅子やテーブルでいただくので、食事時もおやつどきもいつもがインスピレーション源。。。

Img_8014 空間全体から、身と心に、なにか、しみわたるものがあったなあと、帰ってきてみて、ぐーっと実感しています。

熟練の経験とエネルギーを惜しみなくシェアしてご指導くださった井丸さんに、すてきなおもてなしのうえ生活空間をご一緒させてくださったご家族のみなさんに、ご一緒させてくださって行きかえりの道中まで楽しく過ごさせてくださったグリーンウッドワーク友のおふたりに、感謝ばかりです。

Img_7999 また行きたい。。。井丸さんの講座の詳細はこちらです。。http://www.tomio-imaru.com/
(井丸さんは、ウエブサイトでの講座の案内のページでは、現在はスケジュールをカレンダー欄に載せなくなっておられて、メールなどでお問い合わせをすると、スケジュールを調整して講座を開催していただけるスタイルになってます)

posted by な at 00:00| Comment(0) | 居心地よいところ

2019年03月07日

自然を愛することと、声を上げることと

Img_7329 ボストンでは、学校へ歩いて行けるところにある、猫のいるAirBNBにお世話になりました(猫が決め手でした)。学校から帰ると毎晩猫の(は)くんが部屋に来て、マッサージをサービスしてくれるのでした。おかげさまでとても休まった。。外は雪がつもってて、 気温も零下だったりしても、おうちのなかはぽかぽかで、しかも猫がいる、というのは幸せなことでした。(は)くん、ありがとう!Img_7654

おうちに住んでいるのは男性が禅宗の僧侶、女性がアーティストでアートディーラー(かつてはパイのケータリング業もしてた)というアメリカ人カップル。お借りしたお部屋はおふたりの”図書室”で、哲学から料理まで、膨大な数の本に囲まれて眠りました。本の種類もタイトルも興味深いものばかりだった。。Img_7399

僧侶の(じょ)さんは、私たちが滞在しているあいだに、教鞭をとっている短大で初の句会をやったんだよと、その時できた俳句を見せてくれました。

それで亡き祖父が俳句に入れ込んでいたことを思い出して、帰国してから少しネットで調べてみたらば、1930年代〜40年代に「旗艦」という同人誌に関わっていたことを初めて知りました。

この同人誌のことをさらに調べていったらば、第二次大戦に日本が参戦するという時期に、治安維持法のもとに反戦句を書いた俳人が弾圧されていた、という事実に突き当たり。。びっくり。留置所で数ヵ月に及ぶ尋問あるいは拷問を受けたり、無理矢理に自白手記を書かされたりして、検挙された44人のうち13人が懲役2年(執行猶予3年ないし5年)の刑を受けたとのこと。同人誌「旗艦」も弾圧の中で廃刊になり、検挙されたあと一切書かなくなった俳人もいて、「花鳥諷詠」(俳句は自然の美のみをテーマとすべしという)を唱えた流派だけがその後残って俳壇を圧倒していった経緯を知りました。

花鳥諷詠の俳句は好きだけど、これを知ったいまは、アンビバレントな気持ち。花鳥諷詠を提唱した有名な俳人が、戦争を礼賛する句を書いていたこと、俳人仲間(中にはとても近しい仲間)が検挙されることに異を唱えず、検挙されたあと病死した仲間のお葬式にもいかなかったこと、ショックです。(くわしくはこの記事に:http://www.alter-magazine.jp/index.php…

祖父が書いていたのも花鳥諷詠の俳句しか私は知らないけども、それが祖父が自由に選択したことだったのかどうか、疑問に思いはじめてしまった。。

このことを明るみにしてくださった俳人、マブソン青眼さんが、長野に「檻の俳句館」を開館されていることも知りました。檻の中に、検挙された人の句が展示されてる。

花鳥諷詠が、大事なことに対して声を上げることから遠ざかるための、逆の極になっていたこと。。これについて考えていくと、自分の中にも自然を深く愛する気持ちがあるので、複雑な気持ちになります。ノーベル文学賞を受賞して「美しい日本の私」というスピーチをした川端康成と、その後にノーベル文学賞を受賞して「あいまいな日本の私」というスピーチをした大江健三郎、このふたりに象徴されるものも思い出されてきたり。

B3b80bc19d7f43a3803040c024a3e83c 自然のただなかで、自然を深く愛しながら、市民的不服従の声も上げていた、ソローのことも思い出されてくる。

 

posted by な at 00:00| Comment(0) | 気がかり

2019年02月27日

ソローの小屋

Img_7505 ボストンへ、アレクサンダーテクニークの勉強へ行くことにしたこの冬。出発前にふいっと、ボストンエリアにグリーンウッドワーカーがいたら会いたいな、と思ってちょっと探してみたら、ボストン郊外のコンコードというところにおひとり、いらした。その方がウォールデン湖畔沿いにソローのお話の絵札を設置した、という話を読んで、初めてソローが「森の生活」を送ったウォールデン湖がボストンからすぐだと知りました。

Img_7508 そんなわけで、クラスの合間の休みの日に、ウォールデン湖を訪ねました。ソローが実際に小屋を建てた場所まで、湖畔のトレールを歩きました。オークの枯葉がふかふかした道。ところどころ凍った雪もありりつ つ。湖も凍っててきれいだった。

Img_7501 小屋の場所は、木々に包まれ ていて、その間から湖が望めるところで、住み心 地よさそうだった。測量士でもあったソローが見立てただけあったもよう。


S__11894793_1 別の場所に、ソローの小屋のレプリカが建ててあって、訪ねた日は小屋の暖炉に火を入れてインタープリター(レンジャー)の女性がお話を聞かせてくださる日だと聞いて楽しみに行ったんだけど、強風の天気予報を受けて、誰も来ないだろうとキャンセルになってた。。でも中に入れてもらえるか聞いてみたら、もちろん、と鍵を開けてくださって、お話も聞かせてくれました。こんな強風の日に来るなんて勇気あるね!と言われた(あとでウーバーで電車の駅まで送ってくれたおじさんによると、強風で木が倒れて道が1時間近く封鎖になった場所が二箇所もあったというから、やばい風のレベルだったらしい。。)

Img_7483 Img_7474_1 Img_7475_1小屋の中は、ベッド(ベッド下に物入れ)、デスク、調理のできる暖炉。あと椅子が3脚(1脚はひとりの時間のため、2脚目は友情のため、3脚目は社交のためと、本人談)。

小屋の部材は、松の樹何本かを切り出したほかは、近くで鉄道の敷設に従事していたアイルランド移民の人たちが建ててた小屋の廃材を譲り受けてリサイクルしたらしかった。

椅子が、どれもとても小さめで座面がすごく低かったのが印象的でした。アメリカにくると家具やドアや調度品や食器がみんな大きくて、いつも慣れるまで巨人の国に来たみたいに感じるけど、ソローの椅子はとても小さくてちょうどマイサイズ。なので背丈の低い人だったんですか?ときいたら、私と変わらないくらいでした。

この小屋で彼が暮らしたのは2年と2ヶ月と2日。その間、町に出て人に会ったり測量の仕事をしたり、実家の鉛筆工場を手伝ったりもして、ずっとこの湖畔にひっこんで思索にふけってばかりいたわけではなかったし、ここで暮らしてたあいだに、奴隷制度に反対して税金の不払いをして、牢屋に入れられたりもしたのだそうです。このときのことをソローが書いた評論が市民的不服従(良心的不服従)という概念の始まりになって、後にマーティンルーサーキングやガンジーのインスピレーションになっていったんだそうです。

彼の信念の貫きぶりは若い時からぶれてなかったみたいで、ハーバード大学を出て地元の学校で教師の職を得たけど、児童のしつけの仕方をめぐる意見の食い違いからわすが2週間で辞任。のちに兄弟と一緒に自分で学校をつくっています。

 ソローが自然、野生に親しんで、つぶさに観察していったところ、野生の中にこそ世界が保たれていると考えてたところは、地球上の生き物の一員として共感するし、どうじに良心的不服従を貫いた、社会の一員としてのあり方もぐっとくる。2つのバランスがあるところ。

彼は生存中は、今のように広く知られることはなくて、ウォールデン湖のある彼の地元コンコードでのみ、名前の知られている人だったそうです。物書きを自分の仕事ととらえていたけど、それで生計を立てることなく、さまざまな仕事をしつつ、生涯独身で、実家暮らしの時期も長かったとのことで、それは当時の男子のあり方として、異例だったそう。レンジャーのおばさんは、ウォールデン湖畔にソローが暮らしてたあいだ、衣類の洗濯はどうしていたか問題というのがあって、どうも実家のお母さんに洗濯はしてもらっていたようだと言っていました。

Img_7469  湖畔の小屋を建てたのも、執筆をするために、実家暮らしでは得にくかった静けさとプライバシーを求めてのことだったらしかった。シンプルに暮らすという実験であると同時に、自分のリアルなニーズを満たすためでもあったんだな。。

posted by な at 00:00| Comment(0) |