2010年05月04日

すきな理由? その2

連休中ですが、家でのーーーーんびりしているのがこのうえなく幸せな今日です。

この島は今全般におやすみデイズで、遊んでいる人が多い、と思うと、こころが安らぎます。(遊べないで逆に忙しくなっている人もいると思うのですが。。。そして自分はGW明けの締め切りがあって、そんなにあそべないのですが。それでも、まわりの空気がユルくてお天気もいいので、たいへん機嫌がよいです)。

Img_6444 さて、猫もだいすきですが、ミュージシャンのカジヒデキさん。すきなのです。

自分のアイデンティティからすると、なんで?と思ったりもするんだけれども、やはりどうしても幸せになるのでした。

先日、幸運なことに相方がチケットをとってくれてたので、カフェライヴに行きました。開場時間より少し早く着いたので、近くのカレーやさんでカレーを食べていて、ボンヤリしながらふととなりのテーブルをみたら、カジくん本人がそこにいてびっくりしました。

あまりにびっくりしたので、まるでなにごともなかったようにしてしまいました。。(シティーカントリーシティーで曽我部恵一さんに出くわしたときは、びっくりしつつちゃんとあいさつもできたのになぁ。。)。

カフェライヴでは、ある1曲のとき、「ずいぶん楽しそうに演奏してるなぁ、なにがあんなに可笑しいんだろうなぁ」とほほえましく見てたら、じつはギターを演奏する左手の指がつっていた、ということがありまいした。

曲の途中で、にこにこしつつ「みんな、あいしてるよ〜」とかなんとか言いながら左手を上にあげて振ってくれてた(正確には指をシェイクしていた)のは、つった指をどうにかしようとしてのことだったと後でわかったんだけれど、ああいうときのとっさの対応まで、なんだかいいなあと思うのです。

(あいしてる、といいうのはちょっとベタ過ぎるのだけれど、カジくんがいうと、泡の立つソーダくらいの軽さしかありません)。

存在感も楽曲も、泡の立つソーダみたいに軽やかで、言葉遣いや人への配慮には愛と尊敬と礼儀があって、そしてブリティッシュな、パンクなところもあって、とにかく自分のすきなこと・人がたのしいことを、周囲に迷惑かけず、自分の中での葛藤も特になしに、楽しく機嫌よくやっているように見えます。

(存在感としては、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』の主人公コランのようです。『日々の泡』から、コランについて少し抜粋:「女の子にはやさしく、男の子には明るく話しかけるのだ。彼はいつでも何となく上機嫌だったが、そうでない時間は眠っていた」

そしてなによりも、曲がすごいです。アルバムをヘッドフォンで聞くとハイになります、ポップでかろやかなのに、細部まですごく密度というか精度の高い音楽だ、と思います。

あとはやはり、人間だとは思えない、というか、人間臭がしない。。。 ひょっとしたらほんものの天使なのかもしれないぞ、と思うことがあります(『日々の泡』のコランについてもそう感じる。。まぁあちらは小説の中の人だけれど)。

なんか『日々の泡』を久しぶりに読み返したくなってきました。。。お天気もいいし、散歩がてら!

 

posted by な at 15:00| Comment(0) | おんがく

2009年11月16日

ノンマイク・ライヴ

Lete_2 きのう。下北沢のleteにて。長谷川健一さんの、ノンマイク・ワンマン・ライヴに行きました。

20人、せいいっぱい入るか入らないかの小さな空間。ギターをもったハセケンの、3、40cm先に1列目のお客さん、という感じ。。。

でも不思議ときゅうくつ感はなくて、コージーな感じのする空間でした。とても居心地がよかった。

マグに入ったあったかいコーヒーを飲みつつ、マイクを通さないハセケンのうたごえと、ギターを聴いていたらば、

はりつめていた胸の中に、ふるふる&じんわりした、自由な空間がひらいていって、涙が出てきました。

詞のコトバとか、そういう、アタマで把握できるようなところとは関係なく、もっと違う次元が、反応しているふうでした。

 

やっぱり音楽がなかったら、生きていけないんだな、と思いました。あの大切な場所に、日常ではなかなかたどりつけない。。

ライヴが終わったあと、外に出たらば、足の裏がふわふわしていて、全身もほわわんとしていて、お酒なぞ飲んでいないのに、「できあがって」しまっていました。

ほんとうにしあわせな夜でした。遅い時間にパートナーとふたり、小さなお好み焼きやさんに寄ってから、家に帰りました。

posted by な at 02:55| Comment(0) | おんがく

2009年06月25日

音楽の中にある自由

昨夜、ご縁があって聴かせていただいた、Taylor Eigsti(ピアノ)とJulian Lage(ギター)のデュオのライヴ。

音楽の中で、ほんとうに、自由、になる体験でした。。。
ありがとう、とふかぶかと思いました。

あとで、この感じははじめてじゃない、ということにも気づきました。

前にパートナーの弟くんのおうちでパーティしたとき、楽器のできる人がみんなで一緒に演奏していたときにも、似たような自由さが胸の中に宿るのを体験したことがあったな。誰も「プロ」の演奏家ではなかったけれど。。

ジュリアンとテイラーは、躊躇なく「天才」と呼べると思う。。でも、音楽で「あの」自由を体験する道は、「天才」の演奏を聴く以外にも、幾とおりもあるんだろうな、と思いました。

ジュリアンもテイラーも、音楽を「ひとりじめ」しようとしない人たち、という印象でした。
音楽を愛する人(音楽に愛されてる人)だから、当然かな。。

* * *

ジュリアンはアレクサンダーテクニークの教師養成学校に在籍中です。パートナーも同じ学校にときどきポストグラデュエイトとして学びに行ってるので、ふたりはクラスメイト。ジュリアンはクラスでも一番の「なごみ系」だとか。

彼にとってアレクサンダーテクニークの存在はわりと大きいみたいで、リリースしたアルバムの中に、タイトルにアレクサンダーを思わせるものがいくつかあったりしました(「Familiar Posture」「Constructive Rest」「Quiet, Through and Through」「Clarity」など)。 :)

アルバム、こちらで試聴できます。

あ、ジュリアンとテイラーの東京ライヴ、今夜と、明日金曜もあります。
詳しくは→http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/409.html

場所がちょっと、敷居が高いんだけれど。。(いつもオールスタンディングのライヴハウスばかりな私たちは、レッドカーペットが敷いてある入口と、黒スーツを来た案内係さんたちにびっくりしてしまいました。。)

* * *

最近、パートナーがギターを弾いてうたうのも、いい感じだなと思うことが多いです。
みんなでごはんを食べに行って、食後に1、2曲とか。

先日近所のネパール料理屋さんで聴いた、弥勒(みるく)さん(うたと横笛と沖縄の舞いのユニット)も、すごくよかったな。ざわざわみんながおしゃべりする中で、おふたりが立ち上がって、ゆるく始まる音楽でした。

弥勒のBooさんは、それまで音楽やってなかったのが40になって急に始めた、と言っていました。今は確か70代でいらっしゃいます。日本のいろんなところを旅をしながら、ライブをしてまわっているそうです。

ジュリアンも、音楽とともに旅してまわる暮らしのようです。

旅と音楽って、いい組み合わせだな。。

posted by な at 14:57| Comment(0) | おんがく