連休中ですが、家でのーーーーんびりしているのがこのうえなく幸せな今日です。
この島は今全般におやすみデイズで、遊んでいる人が多い、と思うと、こころが安らぎます。(遊べないで逆に忙しくなっている人もいると思うのですが。。。そして自分はGW明けの締め切りがあって、そんなにあそべないのですが。それでも、まわりの空気がユルくてお天気もいいので、たいへん機嫌がよいです)。
さて、猫もだいすきですが、ミュージシャンのカジヒデキさん。すきなのです。
自分のアイデンティティからすると、なんで?と思ったりもするんだけれども、やはりどうしても幸せになるのでした。
先日、幸運なことに相方がチケットをとってくれてたので、カフェライヴに行きました。開場時間より少し早く着いたので、近くのカレーやさんでカレーを食べていて、ボンヤリしながらふととなりのテーブルをみたら、カジくん本人がそこにいてびっくりしました。
あまりにびっくりしたので、まるでなにごともなかったようにしてしまいました。。(シティーカントリーシティーで曽我部恵一さんに出くわしたときは、びっくりしつつちゃんとあいさつもできたのになぁ。。)。
カフェライヴでは、ある1曲のとき、「ずいぶん楽しそうに演奏してるなぁ、なにがあんなに可笑しいんだろうなぁ」とほほえましく見てたら、じつはギターを演奏する左手の指がつっていた、ということがありまいした。
曲の途中で、にこにこしつつ「みんな、あいしてるよ〜」とかなんとか言いながら左手を上にあげて振ってくれてた(正確には指をシェイクしていた)のは、つった指をどうにかしようとしてのことだったと後でわかったんだけれど、ああいうときのとっさの対応まで、なんだかいいなあと思うのです。
(あいしてる、といいうのはちょっとベタ過ぎるのだけれど、カジくんがいうと、泡の立つソーダくらいの軽さしかありません)。
存在感も楽曲も、泡の立つソーダみたいに軽やかで、言葉遣いや人への配慮には愛と尊敬と礼儀があって、そしてブリティッシュな、パンクなところもあって、とにかく自分のすきなこと・人がたのしいことを、周囲に迷惑かけず、自分の中での葛藤も特になしに、楽しく機嫌よくやっているように見えます。
(存在感としては、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』の主人公コランのようです。『日々の泡』から、コランについて少し抜粋:「女の子にはやさしく、男の子には明るく話しかけるのだ。彼はいつでも何となく上機嫌だったが、そうでない時間は眠っていた」)
そしてなによりも、曲がすごいです。アルバムをヘッドフォンで聞くとハイになります、ポップでかろやかなのに、細部まですごく密度というか精度の高い音楽だ、と思います。
あとはやはり、人間だとは思えない、というか、人間臭がしない。。。 ひょっとしたらほんものの天使なのかもしれないぞ、と思うことがあります(『日々の泡』のコランについてもそう感じる。。まぁあちらは小説の中の人だけれど)。
なんか『日々の泡』を久しぶりに読み返したくなってきました。。。お天気もいいし、散歩がてら!