2007年08月31日

内と外のシンクロ

お絵かきの先生に、「最近やっていたのはどんな翻訳ですか?」と聞かれました。質問のワケは、以前、「いろんな翻訳者さんがいると思うけれど、わたしは翻訳をする対象に自分を没入させて訳すタイプです」というようなことをお話したことがあったからだったみたいでした。

それで、翻訳の仕事は、「わたし」の外から「やってくる」ものなわけだけれども、その内容は、現在のわたしの状況とシンクロしやすい、と見たようでした。

質問をされたときは、「たのしい暮らしって感じのもので。。。」とお答えしました。でも、たしかに「たのしい暮らし」をつくる、家庭のテーブルウェアに関する文書だったのだけれども、そのテーブルウェアを売る側に立つ人の研修のためにまとめられた冊子だったので、実際の内容は、

*陶器は粘土に長石や石英(クオーツ、つまり水晶)などの鉱物を混ぜて、特定の温度で焼いたものだということや、その他の焼き物である磁器やせっ器は、加える鉱物や骨灰の量や種類、それに焼成温度が違っているものだということや、

*ガラス製品をつくるガラスも、石英を含んだ「ケイ砂」という砂に、石灰やソーダ灰などの物質をまぜて溶かしてつくるものだということや、

*ステンレスのカトラリーの、「ステンレス」は、鋼にクロムやニッケルといった鉱物を配合していて、その配合物の量と種類によって、質がかわってくるとか、

そういう感じの細かな情報でした。それぞれ製造工程も、わりと詳しくカバーされていました。

よく考えると、メインテーマは、「土」や「鉱物」に関すること。それらを調合して、熱で溶かしたり、焼いたり、なめしたりすることで、食器という、毎日使うなにげないものが生まれていることを知っておきましょう、というものでした。

お絵かきの先生のところで、その日、描いたタロットは、「20・審判」で、その解説文の中に、昔の人は、植物も動物も昆虫も鉱物も、みんな精霊が宿った知的な存在だと思っていた、ということが書いてありました。

植物、動物、そしてニガテ感のある昆虫までは、なんとか、”精霊”の存在を思える方向へ向いているけれど、、、さらに、鉱物へ。

なにげなく使っているステンレス製品をつくっている鉱物。ガラスコップをつくっている鉱物。陶の器のもとになっている土。みんなに精霊が宿っている、というふうに、生活レベルで思ってみること。。。

それは果てしないんだけれども、確かに、いま、わたしがほんのり関心を寄せている事柄でした。。。

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2007年05月13日

星と節制

Star_6 昨日、タロットを引くと、「17・星」が出ました。カードの意味などを考える前に、ぼーっと見ていると、2つの壺から水が、流れ落ちているのに、気が引かれました。あ、これは、このあいだ、「14・節制」のカードで壺から壺へと移していた、あの水なのではないかしらん、と思い当たりました。

いちばん最近描いたタロットの絵が、「14・節制」でした。わたしの絵ではなぜか、壺から壺へと移されている水の流れが、とにかくどどーんと目立っていました。

少し飛沫を飛ばしつつ、水の太い流れは左手の壺から右手の壺へと落ちていました。

「17・星」では、壺から壺へと移すのをやめたんだ、と思えました。壺の中に入れていた水を、もう、もとの場所へ、返すことにした。流してしまうことにした。

Img_0958_1「14・節制」を描いたとき教わった解説では、この壺から壺へと移る水は、命のようなもので、水を移し変えている存在は、人間ではなく天使。水の移し変え行為は、受精行為というか、そんなようなものと考えられるそうでした。

ひとつの器から、別の器へ、と移し変えていたのを、もう、どちらの器からも水を空けてしまう、というのは、命を、個体から解放して、広いところへ返す、ということになるのかな。

「自分」という殻、エゴから、生命力を解放してあげる、というようなことかもしれないな、と思いました。だから、この「17・星」の人物は、衣服を着けていないのかも。自分へのこだわりを解いて、個の意識を溶かして、広いところに溶け込む。その広いところ、というのは、「星」のカードなのだから、もうこの地球にも限定されない、広い広い領域なはずで。

そんな広いところに、溶け込むことで、なぐさめがやってくるってことなのかも、と、今日はそんなふうな気がします。

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2007年03月28日

かぎりなくなんにもないような

くるりのベーシスト、佐藤征史さんがすきです。というか、佐藤さんの弾くベースが、めちゃくちゃすきです。もちろんボーカル&ギターの岸田くんのうたもギターもだいすき。

近年は、なんのかんのといろんな音楽を聴いても、やっぱり「帰るところはくるり」みたいなふうです。元気が出ます。

自分がすきなものを、なんでそんなにすきなのかっていうのは、やっぱりなぞです。理由なんかない、わからない、でもとにかくすき、という。。。

やっぱりそこには、なにかドリーミングがあるんだろうけれど。

このあいだは、岸田くんの実家がブラジルにあって、岸田くんのご両親はインディオの人たちで、ブラジルで宿をやっている。その宿に泊まりに行く、という夢を見ました。それはそれは美しい宿で、ご両親も、言葉は通じなかったけれどとってもすてきなやさしいかわいい人たちで、とってもシアワセでした。

まあ、この日、ポルトガルのサッカー選手のデコが、ポルトガルに帰化したブラジル人だったことを知って、「へえー」と意外で、東洋人にちょっと似ているデコはきっとアマゾンのインディオ系に違いない、と考えたりしていたので、岸田くんのご両親をインディオにしてしまったみたいです(実はデコは、おじいさんがインドからの移民とのことでした)。

さいきん、カゼをひいてから、ひととおりなおったあとも、みぞおちのあたりを風がすーすー通って、下半身もなんだか全般的にスカスカで、力が出ません。自分自身が、れんこんのようにスカスカで、こうして今日またブログを書いていても、ほんとに、なんというか今まで以上に、書いても書かなくてもいいようなことを書いている気がします。。。

同じ現象は、昨日、タロットの絵を描きに行った時も起こっていて、画用紙に向かっても、なんにも具象的なイメージがやってこず、ただボンヤリと色がひろがるのが見えるだけだったので、その色にただ従っていったら、今までになく抽象的な、向こう側が透けて見えそうな、スカスカな絵になりました。(11・力の女神なんだけれど。。。)

一緒に描いた方の絵がエネルギーに満ち溢れていただけに、自分の絵のスカスカ感が、いっそう明白で。。。こんなに、かぎりなくなんにもないのに近いような絵は、今まで12枚描いてきて、初めてでした。

なにが起こっているんだろう。

posted by な at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) |