2017年07月28日

魂の食べ物

本日は夕方に仕事の納品が完了!ちょっとストイックにがんばったので、ごほうびに佐野元春さんの新譜をかけています。「MANIJU」。裏誕生日おめでとうといって相方がサプライズでくれました。裏誕生日プレゼントって初めてもらいました。うれしい :)

コヨーテバンド、たまりません。。。リズムセクションといいギターといい鍵盤といい。。うう。

魂の食べ物を、いっぱいいただいてるようなこのころで。ほんとにおかげさまです。

0006_xlarge こないだ行った坂口恭平さんの個展は、特にすごく元気のもとになっていて。おとといまたお邪魔して、少しのあいだ絵を見せていただきながらうたを聴かせていただいて、また充填してきた感じで、おかげさまで、少し前のわたしならすぐぐらんとなってたような知らせを聞いても、芯から揺らぐことなく居られています。ほんとにありがたい。。

Img_1777写真3枚は、2度目に行ってやっぱり気になった坂口さんの絵たちの一部。ほかにも1ダースほど、お気に入りが。。。絵も好きなように写真撮っていいし、うたも録音して楽しんでいい、と言ってくださって、なんかほんとにすごい。。しあわせです。

0009_xlarge 個展は30日までやってます、新橋キュレーターズキューブ。買った人はその場で持ち帰れる、というすごい個展。。。持ち帰られてもまだあふれるほど絵があって。

なんと、相方は2度目の訪問で坂口さんの絵を、買ってしまいました!絵を買うって、相方にとって初めてのこと(私にとってももちろんで、わが家にとって今年の一大ニュース。。!)。相方は帰り道、満面の笑顔で「大きな買い物をしたのに、ぜんぜん後悔がないよ、うれしいばっかり」と言いました。いつもは大きな買い物をすると、後でちょっと後悔するとかいろいろあるらしいのだけど、今回はそれがぜんぜんない、と。

とにかくうれしそうにおゆうはんを食べていました。そして新橋から東京駅まで、絵を抱えて一緒に夜道を散歩しました。皇居のお堀のわきをずーっと、夜に歩いた、初めて。涼しい夜で、とてもピースフルでした。車は横でいっぱい走ってるのに、静かでした。

絵を買う、という、そんな余裕がわが家の家計にあったっけ?と思うのだけど、今回改めて、これは家計とは直接関係ないんだと思い至りました。

というのも、今回のことのおかげで、今年の1月に旅立った、相方のお父さんについて、新事実がわかったのでした。相方のお父さんは、絵が好きで、家の中の壁の絵やタペストリーを季節ごとに掛け替えていたのもお父さんだし、書斎の扉にはいつも絵の切り抜きが貼り付けてありました(これもそのときどきの、好きな絵を貼っていて、かなりの頻度で入れ替わっていました)。

つつましい生活をしてた方だったから、複写や切り抜きで楽しんでらしたんだと思ってたけど、実は若いうちから思い切って絵を買ったりしていたことがこのたび判明。しかも1点じゃないらしかった。。

そして相方の母方のおばあちゃんに至っては、好きなある画家の絵をいくつも買って、孫1人1人に残してくださっていて。こちらのおばあちゃんは、夫をはやくに戦争で亡くして、3人の子をひとりで育ててこられて、生活はぜんぜん楽なんかじゃなかったのだけど、子供たちが巣立った晩年には、民藝の生活道具や絵にたくさん気持ちを注いだようでした。生きておられたら、会いに行きたかった。。

そんなわけで、アートを買うのはお金持ちの人、と思ってたのに、ぜんぜんそうじゃない例が、身内に2人もいたのでした。。。

そして、わたしの家系は違うなー、と思ったけれど、考えてみたら、ひいおじいちゃんが一枚岩をでんと置いて墓石としていたうちのお墓の一角には、長いこと、親類縁者でもなんでもないある画家の人のお墓が入っていたのでした。

わたしのひいおじちゃんは、それこそ全然お金のない人だったみたいで、服も夏の着物1枚と冬の着物1枚しか持ってなくて、ふびんに思った人が着物をくれたりするほどで、でも着物を貰ったらすぐさま質屋で換金してそのお金でほしかった本を買ってしまったと、本人が書き残した文章にありました。。。そんなだったから、その画家の人の絵を買ったりはできなかったろうと思われるけど、一緒のお墓にするほど仲が良かったらしかった。

前の世代から引き継いでいるドリーミングって、やっぱりあるのかな。。と思ったりしています。そしてそれは家計とは関係ないことがらなんだなあ、と。。

食べていくために家計のやりくりは必要だけれど、魂の食べ物のためにも必要である、というか?

そうだ、そういえば、坂口さんの絵を買うときに、相方が予期せぬことを口走り、そのおかげでわたしも少し坂口さんとお話させてもらえたんだけれど(そもそも尊敬する人と話すのが大変な性質なうえに、いきなりのことで動揺してさらに大変だったんだけど)、そのときにいきなり坂口さんに「詩、書きそう」と言われ。。そのときははてなマークが出まくったけれど、あとになって、相方が「だって、詩集、くれたよね」と言いだして、付き合う前に相方にあげた贈り物が自作の詩集だったことを思い出し。。。さらに、このブログの最初のエントリが詩みたいなものだったことも思い出しました。

それでかなり昔のブログを読み返すことになって、そしたら、10年前にアップしてたブログの中に、魂の食べ物についてのこと、書いてありました。正確には読書感想文(?)なんだけれど、薔薇の芳香は魂の食べ物になるらしいという話で、「からだに食べ物が必要なように、魂には精気が必要で、その精気は、芸術(特に音楽)や芳香や光として摂取できる」と考えていた昔の人のことを書いていた。

魂の食べ物のことも、詩のことも、すっかり忘れていました。(詩のことは、とくにこっぱずかしさから自分の意識にも上げないようにしていたもよう)。

坂口さん、思い出させてくれて、ありがとう。。お金なくても、はずかしくても、自分にとっては大事なことなんだと、思い始められそうな気がしています。向こう側にいる、義理のおとうさんにとっても、おばあちゃんにとっても、ひいおじいちゃんにとっても、大事なことだったんだと、思い出せてよかった。

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posted by な at 23:29| Comment(2) |

2017年07月23日

獅子座新月間際のわわわ

幸せすぎた昨日でした。。。

久しぶりに髪を切りに行きました。切っていただいてるあいだ、頭をかすめていたのは、きつかった2カ月間のこと。終わって「これだけ切りましたよ」と見せていただいた髪の束を見て、ああ、よかった、と思った。髪の中を風が通るさわやかさを体感しつつ歩きました。

そのあと寄った本屋さんで、以前から目にするたびに惹かれていたdesignsix Londonのピアスを見かけて。毎回、見かけるとときめくけど、必要ないし、いずれ用なしにしてしまうだろうし、地球にとってよくないしと結論していたのに、今回はホワイトのNovaピアスを衝動買い。その場でつけました。ピアスはここ20年近くは冠婚葬祭のときにしかつけることがなくなってたのに。どうしたこと。。。

そして夕方、相方と合流して坂口恭平さんの個展Nest of Thinkへ。もうこれがとんでもなく、幸せなひとときでした。

0003_xlarge 広いローテーブルに小さな立体作品が朴訥に並んでいる写真を、坂口さんのタイムラインで見て、あ、この立体たちの後ろ姿がきっとやばい、見たい、と思って行ったんだけど、わたしの想像を軽やかに上回り、あらゆる意味で「個展」の概念をふっとばす個展でした。

立体作品のほかに、窓や壁に数点貼ってあったけれど、そのほかに500枚の絵がそこここに束にして置いてあって、各自手袋をはめてその束を見ていくスタイル!

しかもその間、坂口さんはBGMと称して、ギターを弾いて歌ってくださっていて!そのうたが、BGMなんてとんでもないほどのマジうたで。

「休憩しまーす」とうたを中断すると、ご自身の選曲の音楽をスピーカーから結構な音量で流してくださって!

ずっと坂口さんがその場にいて、あれこれ話したり歌ったりして、曲かけたりしてくれていて、もう彼の存在感そのものを含むあの場全体を、どうぞ、してもらってる感じでした。

* *これから行こうかなって思ってる方は以下は読まずにどうぞ!30日までやってます* *

ビジュアルと音楽と立体とか、作家と作品とか、作家とオーディエンスとか、アートと生活とか、ぜんぜん切り分けらてなかった。

0013_xlarge大音量で音楽が流れてる個展、作家さんがライブしてくれてる中で原画の束をひたすら繰っていく個展って、体験したことないよ。。!

1枚1枚を手に取っているときに、「片づけの魔法」のこんまりさんが、本の整理をするときにとにかく本棚から全部出して、1冊1冊を(読まずに)手に取って、ときめくかどうかをチェックすること、と提唱してたこと、思い出しました。触角が感知することの正確さ。。

坂口さんは新しく誰かが入ってくると、元気に「いらっしゃいませ!」と言い、今日のクローズの時間が迫ってくると「そろそろタイムセールですよ!好きなの選んじゃって、もう言い値でいいよ、商談しましょう」と。まるで市場のようでした。。。

ああ、生ものを売っている、という意味では、まさしく市場だったのだなあ、とも思う。

作品はわたしには手の届かないお値段だったから、見るだけと思っていました(タダでこんなにいいおもいをしていいのかなとも思ったけど)。言い値でいいよ、と言われて、え、もしかして、とも思い始たけど、惹かれるもの、心がぴぴぴんと反応するものが、いっぱいありすぎて、選ぶとかとうていできなくて、結局どうしたらいいかわからなくなって終了。。。

音楽を聴きながら1点1点を見させていただいている時間は、ちょっとした変性意識状態だったもよう。後でおゆうはんを食べてたときに、通常の意識まで降りてきて、「あー、わたし緊張してたんだなー」と気付いたけど、正確にいうと、興奮していたもよう。

絵のかわりに、相方と一緒に画集を買いました。そしたらサインをしてくださって。そのときに、相方がほしがって、でも迷って決められなかった2枚の作品のモチーフを、ペンでさらりと描き添えてくださいました。やさしい。。

帰りの電車と、家についてからおふとんの中で、画集をめくっていました。この多産なワールド。。

坂口さんのドローイングを初めて見たとき、うわあ、過剰だー、とその過剰さに圧倒されたし惹かれました。今回の個展では、500枚の作品にはわりと余白がいっぱいあるものが多くて、予想外だったのだけど、これだけ余白を含んだものを描くと、今度は作品の点数が過剰になるんだなあ。。。彼はほんとうに、出し惜しみしない。。。というか惜しむどころか、出し切らないとバランスをとれないんだろうと想像する。

スタイルも画材も、モチーフも、自由で多彩で。坂口さんの歌声にそっくりだ、と思ったものもあった(当然か)。

芸術が絵画、彫刻、音楽、演劇、舞踊、などと分化する前の、大元のまとまりのエネルギーと一緒にいる人。自由度がめちゃくちゃ高い人。好きすぎる。同時代に生きていられてよかったって思う。

* * *

個展のタイトルはNest of Thinkだったけど、アレクサンダーテクニークでthinkする、ということについてこのとこぼんやり思ってたことが、なんだかばーんと示されたようでもありました。こういうthinkっていうか、これがthinkだ、ということ。そうだそうだ、と。

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posted by な at 12:53| Comment(0) |

2010年07月28日

長い話の、追記

Img_6705Img_6680 毎日暑い! けど暑いの好きです。ゴーヤのカーテン、ことしはわりと上手にできました :) ゴーヤチャンプルーもおいしくいただいています。

昨夜、あのようなことを書いて、揺り返しがくるかなあ、と思っていたけれど、意外と大丈夫でした。

揺り返しどころか、もっとあれも書きたかった、これも書きたかった、ということが出てくる感じで。。。

今日はそのうちの2つを。

性暴力にあった体験の見直しを始めてから、おもし ろい発見がいくつかありました。

体との関係を取り結びなおしたい、という、それを個人的なテーマにして臨んだ「自分で十牛図を描いてみる」講座では、これまで同じお絵かきの先生のところでいくつも絵を描いてきたけれど、いつもにんげんを具体的に描けなかったのが、今回初めて、肌色の肌をしたにんげんの絵を、描くことができました。

第1図では、河童色の半獣半人、
第2図では、トトロのようなカエルのような緑色の生き物、
第3図では、人間のような生き物のスカートだけが半分見えたところ、
第4図では、上半身が炎で下半身が石の柱の存在、
第5図では、すそを引きずるローブ(長袖)をきて麦藁帽子をかぶった半透明の人(肌の露出なし)、
第6図では、膝丈の赤いワンピース(半そで)を着て麦わらをかぶって横笛を吹く女の子(手足はやや肌色)。

そして第7図で、頭のてっぺんに花を咲かせて、肌色の肌の裸で川(海?)に向かって両手を広げてひざまづいている、胸がまだペタンコな年頃の女の子が出てきました。

そんなに意識せずに、出てくるものをただ描いていたので、7図でこの女の子が出てきてくれたことは、うれしかったです。

性暴力に合う前の、自分の体と無邪気な関係をもてていた(だろう)頃の自分、そのときは自分の体をどう感じていたんだろう?というところを、想像し始めることが、できました。

第8図では、マリアさまのような弁天さまのような存在がぼわややんと出てきて、
第9図では、この世ではないような、どこかほかの場所にある「虹色の木」が出てきて、
最後の第10図では、にんげんの肌の色をした「手」が、河童/カエルの色の肌をした「手」に、藍色の丸い入れ物を手渡す、という図になりました。

第10図を描いたときは、1図を描いてから3カ月経っていたので、1図のことは忘れていたけれど、後で10枚全部をいっぺんに見返すセッションのときに、10図の河童/カエル色の「手」が1図の河童的半獣半人の手だったことに、気づきました。

お絵かきの先生、えんどうまめさん、には、いつもいつも、とても助けてもらってきた、とつくづく思います。ありがとうございます。。!

* * *

もう1つ、最近の発見でびっくりしたこと。

実は数年前の年末に、精神がヘンな壊れ方をして、朝起きて無言ですぐ家を出て、家族との連絡を絶って、泣きながら各駅停車の電車にずーっとずーっと乗って、終点の江ノ島まで乗って、そこからまた泣きながらずーっと同じ電車で自分の住む町まで引き返してきたことがありました。

引き返してきて、だいぶん気持ちも落ち着いてきたあたりで、お財布だけは持って出てたので、急に近くのエスニック雑貨店に足が向かいました。

以前そこで、見るともなしに、天然石アクセサリーのショーケースを見ていたら、その中のある石のペンダントトップに目がとまり、そこに立っていると体がじーんとする、という体験をしていました。当時は、天然石が流行っていても、ぜんぜん効能を信じてなんかいなかったし、欲しいとも思っていなかったのだけれど。。。なんだろうこれは?と気になりました。

で、壊れた日、その例の石のところへ足が向かいました。思い切って店員さんに、ケースから出してもらって手のひらにのせると、じーんという感触はさらにおおきく、手のひらの上がじんじんしました。値段を見ると、思ったより安く、3000円台でした。

それを買って、ひもをつけて、首にぶらさげたら、なんだかこころが安定しはじめたように感じました。以来、毎日、かたときも離さずに身に着けるようになりました。今でも。。

その石は、ベーコンのような縞模様とイチゴキャンディのような透明感が美しいインカローズ。

今回、性暴力体験を見直ししはじめて、いろいろ調べていく中で、なんとインカローズがほかでもない「性暴力被害」に合った傷を癒す石として、名指しされていたことを知りました。(もちろんほかの効能もあるなかの1つだけれど。。)

「ニューエイジ」」と呼ばれるものにはアレルギーのある私ですが、石にはお世話になっているなあ、と今は実感を持って思います。

それに、あの壊れた日、泣きながら電車に乗って、えんえんと行った先が、今ではすぐ近くに暮らすことになった江ノ島だったことも、おもしろいです。あのときは意識が錯乱していて、どこに行きたいわけでもなかった、なんにも考えずに来た電車に乗った、というふうだったんだけれど。

石にも、虫にも、天気にも、動物にも、植物にも、土地にも、目にみえないなにかにも、ほんとうにお世話になって、おかげさまで元気になってきたと、感じています。

ありがとう :)

posted by な at 12:48| Comment(0) |