2008年09月20日

空気のカプセル

姪っ子のお誕生日のお祝いに、本をリクエストされて、それで今日は、よく知らない町の、古い商店街の一角の、小さい本屋さんで、さんざん立ち読みしました。

蚊に刺されたりなんかしつつ、子どもの本を読みふけり。。。

この2冊に決めました。

Photo_3Photo_2

両方おんなじサイズですが、
「ちいさいおうち」は左に開く本で、
「こねこのぴっち」は右に開く本。

2冊とも、あまりに気に入ってしまって、帰りの電車の中でもまた読み返し、絵をすみずみまで眺めて、楽しい時間を過ごしました。

帰宅して、パートナーと話したら、「ちいさいおうち」はパートナーにとって、忘れなれない大事な1冊だったとのこと。

* * *

絵とおはなしを、別々の人が担当する本もあるけれど、この2冊は作者が絵とおはなしの両方を手がけています。

どちらも、今よりもっと前の時代に誕生した本。絵の中に、その頃の時代の空気が宿っています。ページを開く=タイムカプセルを開ける、みたいな感じがする。

なんというか、ぽそっとしてて、軽やかで、やさしい空気なんだなー。。

posted by な at 03:25| Comment(0) | かきもの

2008年05月03日

腑に落ちない。。

めずらしく、たまたま見かけた小説を衝動読みしてしまいました。

だって、スピッツの草野くんが帯に推薦文書いているんだもの。そして表紙の絵が素敵だったんだもの。。。

Photo「食べる」ことを中心にすえた『食堂かたつむり』というお話。

でも私的にはNGでした。

生きていると感じたくないとき、インスタント食品を食べたくなる、というのはなんとなくうなずけたけれど。食べるということの深みに迫ろうとしたのは、すてきな挑戦だったけれど。

なにかが断然しっくりこないのでした。

人物がうすっぺらく見えてしまうというのが、たぶん一番の理由です。

日本で暮らすインド人、アルゼンチン人、ゲイカップル、という設定の人たちの描かれ方も腑に落ちませんでした(インド人とアルゼンチン人はどちらも、純粋に愛されていたのにものすごい裏切り方をして去っていく人たちという設定だし、食堂かたつむりのほかのお客さんたちがみんな丁寧に具体的に描きこまれているなか、「同性愛の男性カップル」のことはまったく具体的な描写もなく、ただ「秘密のハネムーン」だった、とあるだけで、「後日、食堂かたつむり宛に素敵なクリスマスプレゼントが届けられた」という一文があるけれど、そのプレゼントがなんだったかさえ書かれていなかったり。)

一緒に暮らしている動物への気持ちとかも。

食べることそのものについても、肝心のところ(わたしにとって、だけれど)がぶれている気がしてなりませんでした。。。

posted by な at 23:31| Comment(0) | かきもの

2008年03月07日

ひなたぼっこ日和

本日の東京はひなたぼっこ日和です。窓を開け放したら、ねこもさっそくひだまりで丸くなっています。直射日光を浴びるのは気持ちいいね。

ときどき、キンモクセイの木に風がとおって、葉っぱがシャラシャラいっている。。。

ときどき、空のはるか上のほうをヒコーキがとおっていくときの、くぐもった音が。

それでまた、静けさ。小鳥のこえ。

時計の針のすすむ音。

自分がキーボードを打つときの音。

ほかにはなんにも聞こえません。

春が来ているぞ。
この、少しだけ熱を帯びた静けさは、春のもの。

* * *

それで思い出しました、中原中也の、この詩。

お天氣の日の、海の沖は
なんと、あんなに綺麗なんだ!
お天氣の日の、海の沖は、
まるで、金や、銀ではないか

金や銀の沖の波に、
ひかれひかれて、岬の端に
やつて來たれど金や銀は
なほもとほのき、沖で光つた。

岬の端には煉瓦工場が、
工場の庭には煉瓦干されて、
煉瓦干されて赫々してゐた
しかも工場は、音とてなかつた

煉瓦工場に、煙をば据ゑて、
私は暫く煙草を吹かした。
煙草吹かしてぼんやりしてると、
沖の方では波が鳴つてた。

沖の方では波が鳴らうと、
私はかまはずぼんやりしてゐた。
ぼんやりしてると頭も胸も
ポカポカポカポカ暖かだつた

ポカポカポカポカ暖かだつたよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼いてた

鳥が啼いても煉瓦工場は、
ビクともしないでジツとしてゐた
鳥が啼いても煉瓦工場の、
窓の硝子は陽をうけてゐた

窓の硝子は陽をうけてても
ちつとも暖かさうではなかつた
春のはじめのお天氣の日の
岬の端の煉瓦工場よ!

『在りし日の歌』(1938)収録の「思い出」より抜粋

posted by な at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | かきもの