事情あって庭で育ててきたジャスミンを一枝だけ、蕾のついたまま切り落とさなくちゃならなかったので、こんなふうに初めて花瓶にさしたらば、たくさんのつぼみが毎日次々と、テーブルの上で開いていくのでびっくり。元気いいなあ。。。なかなかに心を楽しくさせてくれます。パソコンの画面にお花が覆いかぶさってきてるなう。。。
昨夜まで通訳がたて続きにあったのと、先週末の消耗が抜けきらないのとで、なかなか翻訳仕事に戻れずにいたのだけど、今日はようやっと戻れました。そしてよく内容をみたら、自分の関心事ど真ん中の文書だった。。。いつもこういうお仕事を回してくださる担当の(み)さんに感謝の気持ちが募る。つくづく、ありがたいことだなあと思いつつ、下訳を終えた。
夕方になって、今日は地元の農家さんが無農薬栽培しているお野菜が近所の自然食品店に入荷する日だ、と思い出して、慌てて自転車を走らせてくと、お店のおやじさんが自然農でつくったという「今年最後のゴーヤ」をくださり。。。わあ!ありがとうございます、といって店を出ようとしたら「あ!」と呼びとめられて、さらに、お店のお客さんがつくったというハヤトウリまでおみやげにいただいてしまった。。。買った野菜よりもたくさんのおみやげに恐縮してると、「今日はついてる日だね!」と笑顔のおやじさん。ほんとにいつもやさしくてしていただいてて、なんというか。。。ありがたいことです、ほんとに。
食欲の秋がわたしのとこにも確実に来ていて、いつもならケーキなど甘いおやつの引力が増すのだけど、今年はふしぎなことに、甘くないものを間食に食べたくなることが多く、真夜中にきんぴらごぼうを食べたり。。。どうなっているのかな?
サラダ祭りもまだ続いていて、とにかくサラダを1日1回は食べたいのでした。ドレッシングは相変わらず、粒マスタードにメープルシロップ少しとお酢を混ぜたやつ。もしくは黒酢とオリーブオイルを混ぜたやつ。
相方が先日つくってくれた、いただきものの柿を入れたサラダも、ほんとうにおいしかった。
果物も本当においしくて。。。岡山のお知り合いのところで育ったぶどうが、今年はとりわけ大好きな秋の味。あと遠方から訪ねてくださった相方のお友達から、おみやげに地元産ブルーベリーをいただいたのも、ベリー大好きな自分にはたまりません。。。パンにのせると至福の朝ごはんです。
実りの季節ってやっぱりすてきだな。そして知っている人がつくってくださった野菜や果物をいただけることの、ありがたさ、尊さを思います。
よく知らないところで、知らないうちに人や生きものを搾取することになるたけ加担しないよう、できるだけ、身の回りで、自分の信頼する人がつくるものが生活のウエイトを占めるようにするとよいんだろうな。。と常々思ってるんだけど、なかなか難しいし悶々とする。。せめてできる範囲で少しでも、というふうにしてくしかないです。
でも少ない収入のなかから地元の無農薬野菜をがんばって買うと、(それを知ってか)買ったよりももっとたくさんおみやげをお店のおやじさんがくださったりする。。。なんかほっこりして、物理的にもこころの面でも助かります。こういう循環をわたしもまた次へと送りだしていきたいものだー。。。ただ、わたしのこうした金銭的「がんばり」は、もともとの野菜や果物を育ててくださってる人のがんばりと釣り合ってるかというと、やはり育ててくださってる人のがんばりのほうが大きいんだろう、とも思う。
がんばりのなかによろこびのある度合いも、やっぱり、育ててくださってる人のほうが大きんだろうなあ。。。
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さっき読み終わったばかりのこの本、台湾原住民作家のシャマン・ラポガンさん単独の短編集がついに去年翻訳版で出たものなんだけど、ぐいと引きこまれていました。シャマン・ラポガンさんはすべて実話しか書かないとおっしゃっているのだけど、台湾の蘭嶼島に暮らすタオ族のひとりとして、ご自身が16年台湾で過ごした後ふるさとの蘭嶼島にUターンした後の日々が印象的でした。
台湾での「漢人」の価値体系の中での暮らしから、蘭嶼島でのタオ族の価値体系に、だんだんと回帰していくなかで強調されるのは、本物のタオの男性として社会に認められるためには、食べ物(魚)を自分で海に潜って、もしくは舟を出して、獲ってこれることが不可欠ということ。これは島の近海の潮の流れについて、季節変動について、地形について、魚たちの行動についてなどなどを、経験的に知っていかないとできないことだし、スキルと体力も培わないとできないこと。そのうえさらに、森で木を伐って、自分の手で舟を作ることも、大きな大きな要素。。。(シャマン・ラポガンさんも年配の方々と一緒にタタラ舟をつくったのでした、生木を削って、鉄釘を使わずはめ合わせて作る舟)。
海から食べ物を自分で得ることは、たいへんな苦労と危険を伴うことなんだけれど、素潜り漁に長けてくるにつれて、シャマン・ラポガンさんはそれを「労働」として行うというよりも大きな喜びに浸るためにやるようになっていきます。そこが本当に興味深かった。海に完全に心を奪われてしまって、家族からは漁ばかりしてお金になる仕事をしないと嘆かれ、親には心配されて引きとめられるようになるのだけど、それらを振りきって海へ行く。。。
90年代初めの頃がこういうふうだったそうなのだけど、私がお会いしたとき(東京海洋大学で講演されたときだから2008年)も、まず最初にご自身のことを「作家もしていますが、毎日家族のために魚を獲っています、だから今は(自分が東京に来てしまってるから)妻子は魚を食べられていません」とおっしゃっていたのを覚えています。(魚とタロイモ・サツマイモがタオ族の伝統的な毎日の食事です)。
日々の糧を得ることが、自分のど真ん中のよろこびと直結しているって、すごいし、それをずっと継続していけているってすごい。。
お金を介さずに糧を得るとと、お金を得ること。これらについてよく考えているこの頃です。
どちらにしても透明性のある循環と、よろこびが、そこにあればいいのだろうな、と思う。自分も一ミリずつでも、そちらの方向へ、近づいて行きたいひ。
恥ずかしいの
でめったに人にサインなどもらおうとしないのだけど、シャマン・ラポガンさんには講演が終わった後、勇気をだしてそばへ行き、手帳にサインをもらいました。あれは今からちょうど7年前だったのかあ。。。初めて蘭嶼島をたずねた翌年だ。
自分からサインをもらった人はと考えると、あとはサティシュ・クマールさん、マイク・アボットさん、カジヒデキさん。
その人たちのエッセンスを自分の暮らしの端っこに、なんとか刻印したかったんだなあ。。。7年前に刻印したシャマン・ラポガンさんのエッセンスは今もちゃんと自分の中に残っているみたい。これからは、どうなっていくんだろう。