今朝、北海道の森に入っていく夢を見ました。なかなかワイルドな森。
別のシーンでは、なんだか古い建築現場のようなところにいた。そこに新しい人たちが入って作業をしているのだけれど、古い現場にそのまま放置されていた道具やなんかは使わずに、近くのホームセンターとかで新しい道具を買ってきて使っているらしかった。なんだかムダな感じでした。だってただ「新品」というだけの違いしかなくて、古い道具と構造やなんかはおんなじだったから。。
それで、わたしは、外部の人間だったけれど、その現場にいて、そこに放置されている道具や資材を自由に使ったり、もらったりしていい、ということになっていて、現場の人から「これも、あれも、いいよ」とか説明を受けていた。古いひしゃくとか。ずっと動かされることなくそこに放置されてきたものなので、ちょっと動かしただけで下から虫が出てきそうで、少し不気味だけれど。ところどころ、草が伸び放題でした。
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そういえば、おとといのプロセスワークのセミナーで、すこーし変性意識に入った中で繰り返し出てきたメッセージが、「昔のことを思い出すこと」というものでした。
先のことをイメージしたり考えたりしても、これから先のことについては「前例がない」から、イメージしようがないのです、だからそこは考えなくてもいい、でも昔のことを思い出すのはためになる、というような感じのことでした。
昔といっても、わたしの個人史や家族史の「昔」ではなくて、もうすこし、おおきい集合体の歴史の上での昔みたいでした。
で、わたしの体の足の裏にある”智慧”と、この昔の記憶とが、1つになると、大きな釣り針で胸のところから吊り上げられて、C地点からA地点にひょいっと運ばれる。そんなプロセスが出てきました。
自分的にはとってもハテナなプロセスですが、釣り針で吊られて運ばれる道では、意志や意図や個人的な努力は不要というか、むしろないほうがいい、というのは明確でした。あほうになっていていいらしかった。
日常のわたしは、あほうになって運ばれるがままでいる、なんてすごくイヤなんだけれど。。(汗)
あと、人や動物や植物と「握手をするといい」というのも出てきました。異種間交流、というテーマも。これから自分がしていくとよいのは、そのあたりのお勉強、ということみたいでした。
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そういえば、セミナー当日の夜見た夢では、高尾山で出会ったアブラチャンという木が出てきたんだった。
アブラチャンの青々とした葉が窓ガラス越しに、こちらへむぎゅっと押されていて。窓を開けてみると、アブラチャンに実が着いていた。その実をとって、種を絞ると、ジュースができた。そのジュース、飲んで大丈夫なのかわからなかったけれど、わたしの心配をよそに、友達の(あ)ちゃんはゴクゴクと飲んだ。イチゴ味のジュースでした。
なんとなく、アブラチャンはやさしいんだな、と思いました。ジュースを飲む前の(あ)ちゃんは少し元気がなかったので。