2007年06月25日

ネルソンさん

アレン・ネルソンさんという、ベトナム戦争のときにおよそ13ヶ月間、最前線で戦闘をして過ごした元アメリカ兵の方が、来日されていて、昨日、うちの近所にお話に来られました。パートナーに誘われて、聞きに行きました。

ネルソンさんは、お話に入る前に、ギターとブルースハープを奏でながらAmazing Graceをゴスペルバージョンで歌いました。

後から歌の内容を質問されて、ネルソンさんが教えてくれたところによると、Amazing Graceという曲は、アフリカの人を奴隷として連れて行く船の、船長だった人が、作った曲だそうです。この船長さんはある晩、夢で啓示を受けて、奴隷としてアフリカの人を運ぶことをやめる決心をしたのだそうです。これが、奴隷制が廃止される発端になったのだそうです。

この船長さんが夢のお告げで心を変えたように、ネルソンさんがこうして非暴力と平和のための活動をするようになっていったいきさつも、とても有機的なプロセスだったことが、印象的でした。

その内容はご自身の著書にゆずるとして(上の画像をクリックすると本の詳細が出ます)。。。

ネルソンさんが、軍隊に入ってアメリカ本土と沖縄の基地で、どんな訓練をしたのか、実際に戦場へ行ってどんなことをしたのか、どんな音やにおいや光景がそこに広がっていたか、ご本人が体験したことを、お話されるのを聞きながら、途中、目を閉じると、そのベトナムの熱帯のジャングルでの光景が目に浮かんでくるようでした。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)のために、戦場での体験をこうして語れるようになる前に、18年間のセラピーが必要だったそうです。

お話を聞いてよくわかったのは、

映画「ひめゆり」を観たとき同じく、本物の戦争がどれだけ壮絶かということ。。。

そして、軍隊という場所の特殊な訓練は、「暴力」と「殺し」がスムーズにできる人間をつくることに集約されていること。教育(洗脳)というものが、どれだけパワフルかということ。

軍隊に入る人は、ゲットーやスラムで貧しい生活を強いられている家庭の子供たちだということ。

(戦争映画や、兵士を英雄としてたたえるさまざまなイメージ、ゲットーやスラムの小さな世界を出て海外の地へ行ってみれるチャンス、お給料をもらえる仕事につける展望、なにかの教育を受けられる展望。そういったものに、惹かれて入隊していくのだそうです。学校に勧誘にくる軍の係官は、「ごみ収集係」でしかない仕事に「環境スペシャリスト」といった名前をつけるなど、実態とは違う印象を持たせてリクルートしているんだそうです)。

* * *

ネルソンさんの本には、「この日本という国もまた、ある意味で私と同じような病(PTSDのこと)を抱えているように見えるのです」とあって、はっとしました。

「日本の戦後が終わっていない」という漠とした感覚を、なぜかわからない次元で私も共有しているのだけれど、その理由が、ここらへんにあるんじゃないかな、と思いました。

わたしは、どこかで、どうしてわたしが戦争についてこんなに考える必要があるのかな?と思っている部分もあります。もっと個人的な、快いこと、気持ちいいこと、美しいことだけに気を向けていたいところが、本質的にはあるみたい(私のネイタルの太陽が金星と合だからかな。。。)。でも、

最近の日本政府の、”愛国心”を促す教育方針や、自衛隊を”軍隊”にしそうな動き(憲法を変えるという方向性)は、ほんとにとっても気がかりです。

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2007年02月22日

水の人々の文化

台湾に行くことになりました。少しいろいろとリサーチを始めたときに、台湾の山岳地帯や離島に、漢民族が移住してくる前からそこに住んでいた人々がいたことを知りました。

異なる部族がいくつもあって、それぞれに文化が違います。わたしのパートナーは、特に、本島の南東にある蘭嶼島に暮らすタオ族(旧称ヤミ族)に気を惹かれました。歌や踊りの文化があるのに「楽器というものがまったく存在しない」とガイドブックに書かれていたから。

タオ族はマレー・ポリネシア文化圏に入る人々で、それはそれは美しい船を持っているそうです。この船でトビウオ漁をする、自給自足の暮らしを数百年間営んできたそうで、その間外部の民族との交流がなかったため、文化の特色が色濃く残っているようです。

大好きな「黒ねこサンゴロウ」(竹下文子さんの児童書シリーズ)に描かれた海の民の文化。バックミンスター・フラーが、先史時代から高度に海運技術を発達させていたと見た、東南アジアの「水の人々の文化」。それがこの島に息づいているようなのです。

ところが調べていくうちに、ガイドブックには載っていなかった事実に突き当たりました。この蘭嶼島に、台湾政府は核廃棄物の貯蔵庫をつくっていました。島民には「缶詰工場」と偽って。

貯蔵庫では結露による水が大量に発生して、ドラム缶が腐食し、放射能汚染が起きていたそうです。この貯蔵庫ができてから10年ほどで、50人も障害のある子供が生まれたそうです(90年代初めの時点--その時点での人口は3000人ほどだったから、それを考えるとものすごい高い比率)。

90年代に島民による撤去運動が盛り上がって、台湾政府は2002年までに移転する、と約束したものの、実現されませんでした。

去年6月の朝日新聞の記事によると、
<約束が守られなかったことへの補償金が03年、支払われた。1人に6万3000台湾ドル(約22万円)。現金収入のある人の年収に近い額だった。
 だが心境は複雑だ。「一挙にカネが入ってきて、なんだか島の空気がおかしくなった」
 以下、「子供たちが、20台湾ドル(約70円)のジャムトーストなどを買いに来る」とか「気になるのは泥酔者の増加」とか、わたしが島に行ったころにはありえなかった状況になっている。>


台湾原住民文学選・2
故郷に生きる
(草風館、2003年)
(タオ族の作家、シャマン・ラポガンさんの作品も収録されてます)

■朝日新聞の記事の一部は、たくせんさんのウェブサイトより、転記させていただきました。
より詳しくは↓

http://takusen.seesaa.net/article/20551012.html

■タオ族(ヤミ族)の方による報告(93年のノーニュークスアジア会議にて)↓
http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/japan/tokio12.htm

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2007年02月04日

「スピリチュアル」アレルギー

日本の”世間”(というかマスコミ?)で、「スピリチュアル」なる言葉というかコンセプトが妙な浸透の仕方をしているらしいことに、最近になって(やっと?)気づきました。

「スピリチュアル」って、ニガテな言葉です。すごく、扱いにくい。。。

目に見える世界(物質世界というか)だけしか現実でなかったら、とっても困るというか焦る、というのは事実だけれども、だからといってそういう要素を「スピリチュアル」と呼ばれているものと結び付けられるとしたら、とってもヘンな気分になります。。。

思えば、中高生の頃には、「神様」という言葉にアレルギーがありました。「神様」という言葉が、歴史をとおしてあまりに手垢がついているように感じられて、パーソナルな用途ではぜんぜん使うことができませんでした。(今は、アノニマスな存在としての「神さま」はまあニュートラルに使えるようになったけれど、いわゆる既成の宗教と関係した「主」とか「神」とかはやっぱりニガテ。)

「スピリチュアル」という言葉にも、同じようなアレルギー反応が出てしまいます。

ぶんぶんとかぶりを振って、わたしとはなんの関係もないです、と言いたくなってしまいます。

わたしにも「スピリット」はあるのになあ。。。
なんなんだろうな、これは。。。

posted by な at 19:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 気がかり