2007年11月13日

のんきやさん

ここしばらく、ものすごく体に疲れが出ていて、なかなかたいへんだなーと思っていたのだけれど、よく考えたら、ぼーっとできる時間が不足していたのでした。。。

で、昨日は、珍しく休日だったパートナーと、近くの川へボートに乗りに行きました。「のんきや」という名前の貸しボート屋さん(ぼーっとするには一番の雰囲気なのです)があって、このところずっと、そこに行きたい行きたいと思っていたのです。

というのも、ここ1月くらい、電車の中から見える川の様子がおかしいのが気がかりだったのでした。水があまりにも少なくなっていて。おかしい、おかしい、なにか起こっている、「再開発」とかじゃないといいけれど、と祈りつつ、のんきやのおじさんに聞けばわかるはずと思っていました。

そしてようやく、川へ行ってのんきやのおじさんたちに「ボートに乗りにきたんですが」と言うと「今はやってないのよ」という答え。聞けば、台風のせいで、近くのダムのコンクリがはがれて決壊したとのこと。水が減ってしまったので、もう今は、ボートが出せないほど浅くなってしまっているそうです。

Img_1475いつごろまでこの状態なんでしょう?という質問に、おじさんたちは「さあね、おれらは国土交通省じゃないからわからないねえ」と笑います。そのうちに誰かが神社かなにかのお札を出してきて「これに拝むしかないね」と笑い出し。。。わたしたちもお札に両手を合わせてみたりして、おじさんたちも大笑い。

ボートが出せなくなっているのに、やはりのんきやさんには和やかな空気が。。。

のんきやさんは今は貸しボートはお休みで、釣り人などを相手に飲み物やカップめんを売ったり、バーベキューする人たちに炭や薪を提供することだけをしているようでした。

それで、私たちは、ボートで食べようと思っていたお昼ごはんを持って、中洲へ行き、そこに倒れていた巨木の幹に座って食べました。この巨木も、こないだの台風で倒されたようでした。。。

「再開発」とかじゃないんだ、自然災害だったんだ、とホッと胸をなでおろしたけれど、でも、この状況が続くと、やはり大変そうです。。

干上がった川底のせいで、中州はいつもの倍以上の広さになっていました。ごろごろと石がたくさん。しらさぎや、白い小さい鳥や、シジミみたいな鳥などが浅瀬で水遊びをしていました。向こう岸では、小学生くらいの男の子4人が、焚き火をたいていました。自転車を川原にとめて。

Img_1484空には、クマがスーパーマンのポーズをしながら飛んでいるような形の入道雲が。雲のふちが銀色に縁 取りされていてきれいでした。

帰り際、のんきやさんの脇を通っていこうとしたら、「国土交通省」と書いたバンがやってきて、青い作業着を着た人たちが降りてきました。

のんきやのおじさんはすでに顔見知りのようで、青い人たちに「いや〜、もう困ってるのよ、もう2回も船を動かさなくちゃで。船底があがってきちゃうと、割れちゃうから。。。今はね、船大工もここらへんにはいないのよ、長瀞まで行かなきゃいないから。。いや〜弱ってるんですよ」と苦境を訴えておられました。けれど、終始笑顔。

私たちに対しても和やかに笑っておられたけれど、国土交通省のお役人に対しても、おおらかな笑顔で。ボートも営業できないし、船のケアは大変だし、相当大変なはずなのに。。。

のんきやという屋号だけあって、さすがです。

早くあの川に水が戻りますように。

posted by な at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 気がかり

2007年10月10日

なにをしないことにするか?

毎年10月8日前後になると思い出すのは、2001年の9.11の翌月、アメリカがアフガニスタンを空爆し始めた日のこと。。。

あの年の10月8日、朝、駅の階段の下で配られていた号外を手にしたときの、胸の奥がどしーんと地中深くへ沈んだ感覚を、覚えています。

号外には、暗い空から地上の街へと落とされた爆弾の光が、ぼうっと遠景で写っている写真が大きく載っていました。

9・11よりも、この10月8日の知らせのほうがショックでした。

それだけは、してはいけないこと、という気持ちがあったからだと思う。

単純な報復行為、反動的な仕返し。。。「目には目を」をやってしまったら全世界が盲目になる、とガンジーは言って、みずからそれをしないことで、インドの独立への道を開いたのだから、そのガンジーは広くリスペクトされているのだから、

大国といわれるアメリカが、国をあげて、愚かなことだとわかっている「目には目を」を実行するはずはない、と思っていたのでした。

人間が、公然と人間を殺すことにしました、と言って、それを実行して、しかも犯罪者として認識されない、ということが21世紀になっても起こるとは思っていませんでした。

でも、やられたらやり返す、相手を叩きのめす、というリアクションを抑えるのは、実際にやられた、という瞬間には、大きなチャレンジなんだと思うこの頃です。

すぐ戦いを始めてしまうクセを、どうやったら乗り越えられるんだろう? どうやったら、ぶたれた頬の反対側の頬を差し出せるんだろう? 

と自問中です。

アレクサンダーテクニークでは、なにを「しないことにする」か、がポイントで、その「しないことにする」力を使ってものごとを変えていくんだけれど。

20世紀のはじめにF.M.アレクサンダーさんは、この「しないことにする」力(faculty of inhibition)が、なにかを「することにする」力(faculty of volition)と同じだけ大事なのに、教育では「すること」ばかりを強調するから、「しないことにする」力、衝動を抑える力がだんだん衰えてる、と憂いでいたっけ。。。

posted by な at 16:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 気がかり

2007年07月20日

天然エアコン

Img_0132_1Img_0076_2今回の地震で、東京電力の柏崎刈羽原発は、耐震設計を上回る揺れに見舞われていたことがわかったそうですが。。。

他の原発もそうですが、(浜岡原発など、特に心配されているようです)、震災時に、どんな悲劇が起こるかと考えると、本当に、そこまでして電力を作る/使うことを、続けていいのかな、と考えてしまいます。

大好きな「非電化工房」の藤村さんは、ホームページに

非電化製品の発明を通して
電気でなくても

快適・便利はホドホド実現できることを
追求しています
愉しい選択肢に

小さく加えていただければ
大きな仕合わせです

と書いておられますが、「快適・便利はホドホド実現できる」というのは、ほんとだなー、と。電力よりも、体力(体を動かすこと)と知力(工夫)を使うと、愉しかったりもするなあ、と。

小さなことですが、エアコン。わが家はクーラーが苦手なこともあって、よしず、すだれ、それにベランダにつる植物を植えて、涼しく過ごす工夫をしています。

夏場の暑い時は、夜間に各部屋の通風窓を開けて、夜風で室内の空気を冷やしておいて、朝になったら窓を閉めます。こうすると冷えた空気が逃げず、外から、熱気を帯びた空気が入ってくるのを防げるので、室内の気温が上がらずに済みます。(窓辺はよしずとすだれで、日差しが入り込むのをカット)。

よしずはもちろん、すだれも、窓の外側につけるのがポイント。日差しを浴びたすだれ自体が熱を帯びて、「輻射熱」というものを発するので、内側につけると、その輻射熱で室内の空気があたためられてしまうから。

窓の向こうにつる植物で「緑のカーテン」をつくると、日陰になって涼しいだけでなく、植物の葉っぱに含まれている水分が、自然の冷却装置になって、そこを通って室内に入ってくる風そのものを冷やしてくれます。いわば「水のカーテン」になるわけで、滝の向こう側から吹いてくる風が冷たくなるのと同じ原理。

写真は去年の夏のベランダ。とっても快適でした。今年は植物をもう1株増やしてみたけれど、どうかな。

■涼しく過ごす工夫については、チームネットの甲斐さんの「まちに森をつくって住む」などがおすすめです。

■よしずは、チハラ金物店の国産よしずを愛用してます。ネット販売しているのだけれど、ほんとに味のある金物店。

■「エネルギー消費量の内訳--家庭での節電は役に立つか」について、京都大学原子炉実験所の小出裕章先生のメモ。端的にポイントを抑えています。

posted by な at 21:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 気がかり