2019年10月15日

2つめの台風

前回の台風では木々と森のこと、森林の管理のことを、今回の台風では川とダムのことを、学ばせてもらっています。被害に遭われた方のことを思うと身につまされます。。。が、自然界の存在たちがこうやって声を届けてくれているかのようにも思えてて。

声なきものが声を届けようとするときは、受け取る側からすると”荒々しい”表現になるより仕方ないことも思う。。。

* * *

以下、台風翌日の日記↓
台風の影響のあったばしょのみなさま、ご無事を祈ってます。。うちはなんとか無事でしたが、河川の氾濫からの水が、遠くに住む姉一家の玄関前まで迫ってきてて、土砂崩れも遠くに住む父が避難した避難所の向かいまで迫ってきて、そんなわけで昨夜はひたすら祈ってて、そのまま寝落ちしました。

いちじ暴風がマックスの時は我が家の屋根が飛ぶかも、窓が破れるかもと、半分覚悟もしてましたが、なんとか持ち堪えてくれました。ガラス窓に何かあったとしても怪我しなさそうな廊下に相方と避難して、そのこっそりしたスポットにアウトドア用マットと枕と布団を並べて、友だちに電話で話相手になってもらって、なんとか怖い時間帯をやり過ごしました。(『たのしい川べ』というタイトルのだいすきな本を出してきて、これを読みつつ嵐が過ぎるのを待とうとおもったけど、1行も読めなかった。。)

うちは海抜13メートルなので、洪水の心配はないと思い、「全員避難」の勧告が出ても家に留まったんですが、古い家なので暴風で窓や屋根や庭木の枝が飛ぶことは考えられました。前々日から備えをできるかぎりがんばって、庭木は屋根の上まで伸びてる枝をみんな伐り(切った枝が屋根におっこちて屋根を壊さんように紐で誘導しながら伐るのは神経使った。。)、はしごに登って雨樋を掃除し、排水溝の泥をかき出し、、ホームセンターでポリカ波板を買ってきて(自転車で運ぶの大変だったけど、ホームセンターの店員さんが運びやすいようにまとめて取っ手をつけてくださって、神対応にじんとした)、それをやばそうな窓の外に打ち付け、、閉まらない仕様になってしまってた雨戸が一箇所あったので(お隣の大家さんちの構造物に引っかかってしまって閉まらない)雨戸をドローナイフで削ったり構造物を切ったり削ったりして閉まるようにし(雨に濡れつつ、懐中電灯の明かりの中で金鋏とドローナイフで作業していて、気づいたら深夜1時になってた……)、ほかの窓も家の内側から養生したり、外側に緩衝材を貼ったりしました。IMG_0166.JPGろうそくとランタンを準備して、充電池の充電して、お水の汲み置きもしました。

しかし、地域に全員避難の勧告が出るのを見るのは初めてで、どきどきした。。

万一窓や屋根が破れた時のために、すぐ建てられるテントもスタンバイして、濡れたら困るものは窓のない隅に移動(濡れたら困る貴重品は移動だよ、といったら相方は1番に日記の束を出してきたので、全部足湯用の発泡スチロール箱(!)に入れました)。

一夜明けて、ホッとして、体はなぜか全身筋肉痛で、なかなか動き出せなかったですが、ゆっくり片付けや窓の養生の取り外しなどしてます。取り外した養生に使った両面テープがなんかきれいに剥がれたので服にくっつけて新デザインを楽しんでみている本日です(愉快だけど、両面テープなので動くたびにどっかに自分がくっつくから、ちょっと動きにくい)。色々な意味でしんどくて、遊びながら、休みながらでないと作業しづらい本日です、、72098681_10217919497233124_3756731026781503488_o.jpg



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2019年09月17日

台風のこと・木々のこと・本来の土木のこと

台風15号で被災した千葉の方々に、必要なもの、足りていないものをピンポイントに支援できるシステムを教わりました。↓
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おかげさまで今年旅でお世話になった鋸南町に鋸を送れました!
みなさまもよかったら、みんなで少しずつどうでしょう。。

以下、今回の台風をめぐっての、特に、木々のこと。。

【9月9日記】
台風、すごかったようなんだけれど、昨夜は体調が思わしくなかったのもあって、自分におまじないかけながら寝入ったら、スッカリ熟睡して、暴風のぼの字も覚えがないまま、朝になっていました。
目覚めて、自分ちの入口にある大きなセンダンの枝がバッキリと折れていて、おとなりのおうちへの電話線が断線してダランと垂れ下がっていて(電線でなくてよかった!)、大家さんちからはがれたトタンの波板がうちの前まで飛んできてて、大家さんちの中庭の藤棚が倒壊してるのを発見。びっくりして飛び出して、大家さんとご近所さんたちとかたづけをして、次の台風で奥のおうちの電線が断線してはいけないと思って、残っていたセンダンの枝をみんな切った(も少し伸びると電線にかかりそうなところの枝)。

それにしても、なんというか、このセンダンも、ほかの木々も、体を張って風をいなしてくれていたんだと思うと泣けてくる。

みんなで作業するのは、明るい気持ちになった。これだけの被害なら、なんにもなかったに等しいよ、と大家さん。そのとおりだと思った。

【9月17日記】
その後、千葉や大島の被害状況を知って唖然としました。今年初めてなぞの旅でお邪魔した鋸南町も大変なことに。そしてつい先週のなぞの旅でお邪魔した大洗も……。

倒木のために被害が拡大していることを知るにつけ、それで本当に大変な思いをしている方々、安心・安全や命まで奪われた方々のことを思うと言葉につまりましたが、同時に木々が悪者にされそうで心配になり、防風林はないほうがいいといわれて半泣きになり、健やかな木は風をいなしてくれることを一生懸命話し、その後も友人と杉の話になると、なぜか涙が出るなどしていました。

そんななか、友人が杉の溝腐れ病について教えてくれて……、杉の健康がそんなに損なわれていたことを知りました。

台風の少し前(先月末)、地元の駅前のケヤキの木と知り合ってから、健康を損なった木が耐えきれなくなって自ら枝を落とすことについて知って、街中の木々の健康について考えるようになっていました。が、今回の台風ではそれが森という大きな規模でも、挿し木で増やされ、間伐してもらえず陽が入らないまま、病を持つ木々が広がっていたことを知って、びっくりしました。

皮むき間伐などの活動にもっと参加しなくちゃ、と思い改めると同時に、やっぱりカギは土木にあるんだろうな、と感じています。「自然と人がうまくつきあっていける環境整備=土木」と矢野智徳さんの言うところの土木。石垣をつくり、木造建築を伝統工法でつくっていた人たちが体感でわかっていたこと。重機とコンクリで合理性重視でやる土木が見失った、見えない地下の水と空気の動きのこと。



この動画で、改めて矢野さんの説明をじっくり聞き入りました。
「大地・生物・気象=環境」
「大地の中の気象学が抜け落ちている。どう空気が動き、どう水が動いてるか。土の中の空気を追う。土の中の気象」。
「自然災害と言いながら、人が、土地利用のなかで、自然災害を逆に増幅させてしまった、巨大化させてしまった。極端にいえば、人災だといっていい」

「焦らず慌てず、ゆっくり急ぐ」
posted by な at 22:18| Comment(2) | 気がかり

2019年03月07日

自然を愛することと、声を上げることと

Img_7329 ボストンでは、学校へ歩いて行けるところにある、猫のいるAirBNBにお世話になりました(猫が決め手でした)。学校から帰ると毎晩猫の(は)くんが部屋に来て、マッサージをサービスしてくれるのでした。おかげさまでとても休まった。。外は雪がつもってて、 気温も零下だったりしても、おうちのなかはぽかぽかで、しかも猫がいる、というのは幸せなことでした。(は)くん、ありがとう!Img_7654

おうちに住んでいるのは男性が禅宗の僧侶、女性がアーティストでアートディーラー(かつてはパイのケータリング業もしてた)というアメリカ人カップル。お借りしたお部屋はおふたりの”図書室”で、哲学から料理まで、膨大な数の本に囲まれて眠りました。本の種類もタイトルも興味深いものばかりだった。。Img_7399

僧侶の(じょ)さんは、私たちが滞在しているあいだに、教鞭をとっている短大で初の句会をやったんだよと、その時できた俳句を見せてくれました。

それで亡き祖父が俳句に入れ込んでいたことを思い出して、帰国してから少しネットで調べてみたらば、1930年代〜40年代に「旗艦」という同人誌に関わっていたことを初めて知りました。

この同人誌のことをさらに調べていったらば、第二次大戦に日本が参戦するという時期に、治安維持法のもとに反戦句を書いた俳人が弾圧されていた、という事実に突き当たり。。びっくり。留置所で数ヵ月に及ぶ尋問あるいは拷問を受けたり、無理矢理に自白手記を書かされたりして、検挙された44人のうち13人が懲役2年(執行猶予3年ないし5年)の刑を受けたとのこと。同人誌「旗艦」も弾圧の中で廃刊になり、検挙されたあと一切書かなくなった俳人もいて、「花鳥諷詠」(俳句は自然の美のみをテーマとすべしという)を唱えた流派だけがその後残って俳壇を圧倒していった経緯を知りました。

花鳥諷詠の俳句は好きだけど、これを知ったいまは、アンビバレントな気持ち。花鳥諷詠を提唱した有名な俳人が、戦争を礼賛する句を書いていたこと、俳人仲間(中にはとても近しい仲間)が検挙されることに異を唱えず、検挙されたあと病死した仲間のお葬式にもいかなかったこと、ショックです。(くわしくはこの記事に:http://www.alter-magazine.jp/index.php…

祖父が書いていたのも花鳥諷詠の俳句しか私は知らないけども、それが祖父が自由に選択したことだったのかどうか、疑問に思いはじめてしまった。。

このことを明るみにしてくださった俳人、マブソン青眼さんが、長野に「檻の俳句館」を開館されていることも知りました。檻の中に、検挙された人の句が展示されてる。

花鳥諷詠が、大事なことに対して声を上げることから遠ざかるための、逆の極になっていたこと。。これについて考えていくと、自分の中にも自然を深く愛する気持ちがあるので、複雑な気持ちになります。ノーベル文学賞を受賞して「美しい日本の私」というスピーチをした川端康成と、その後にノーベル文学賞を受賞して「あいまいな日本の私」というスピーチをした大江健三郎、このふたりに象徴されるものも思い出されてきたり。

B3b80bc19d7f43a3803040c024a3e83c 自然のただなかで、自然を深く愛しながら、市民的不服従の声も上げていた、ソローのことも思い出されてくる。

 

posted by な at 00:00| Comment(0) | 気がかり