2007年11月17日

ネイティブ・タイム

今日の東京は、日差しがくぐもっていて、肌寒い。。。こんな秋の日は、ストーブのそばで、ひざを毛布でくるんで、ゆっくり本を読むのにいいな、と思いました。。(仕事さえなければ。。。)

Nativetime そして思い出したのが、ずっと手をつけられないまま半年以上本棚に立ててある、分厚い本のこと。北山耕平さんの「ネイティブ・タイム」という本です。

ひさびさに本棚から取り出してみました。副題に「A Historical Time Line of Native Japan」とあり、表紙の題名の下には、さまざまな形のやじりの絵が。

やじり。小学生のころからロマンを感じていました。近所のおじさんちの裏庭が、遺跡の発掘現場になる前、そこから出てきた黒曜石のやじりをおじさんからもらっていて。今も宝物箱にしまってあります。

おじさんちの裏庭が発掘現場になってからは、どこだかの大学の考古学の学生さんたちが発掘作業をしているのを、見に通いました。ある学生さんから「ほら、ここらへんの土はこっちの土と色が違うでしょ。ここらへんを縄文さんが歩いていたってわけ」と聞かされて、ひどく興奮したのを覚えています。

「わ、わたしもそこを歩いてみたい!」と、四角く掘り下げられた中を熱く見つめていたけれど、もちろんそんなことは言い出せないし、小学生を中に入れてくれるはずもなく。。。

でも、そんなことがあってから、縄文土器の研究にのめりこみました。夏休みの自由研究も、秋の学習発表も、みんな土器のことばかりに。夏休みには、母におねだりをして、多摩の森の中で縄文時代の衣服や住居を復元しているというおじさんに会いにいったり、登呂遺跡への小旅行に連れて行ってもらったりしました。

ただ、小学生なりに、その夢のような「縄文時代的な暮らし」が、必然的に定住型のコミュニティになっていき、そして必然的に邪馬台国のような「国家」みたいなものができていくのだ、とあきらめに似た気持ちがありました。

あの時代に戻りたいけれど、戻ったところで、またいずれは社会や国家ができていくだけだ。。。と思ったのを覚えています。

でも最近になって、昔の、自然と寄り添う暮らしにもし戻れたとしたら、今度は、その後に国王だなんだという存在のいる国家が必ずしも発生しなくてもいいのかも、という気持ちになってきました。別の道も、あるのかも、と。。

* * *

占星術を自分なりに知っていくなかで、自分のチャートのICという場所を、井戸の入り口のように感じるようになりました。そこからずーっと深い地層へと井戸は続いていて、縄文時代、石器時代、さらにその前の時間へと意識の地層、歴史の地層が連なっているような。

プログレスの月がICをちょうど過ぎて、4室に入ったところなので、そういう意味でも、この分厚い本を読むのにちょうどいい時期がきたのかもしれないです。

posted by な at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 天体と自分

2007年08月24日

「太陽」系という世界。。。

今朝久方ぶりに、起き抜けにひらめきが降ってきました。
でも端を発していたのは、おそらく、お絵かきの先生のブログにあった、太陽に関する言葉。。。(遠藤洋子さんのブログhttp://plaza.rakuten.co.jp/mokuseiki の2007年8月20日のエントリー「8月21日(火)の明日の天体。」)

自分の出生チャートの中でも、よくわからない存在である「太陽」。タロットカードとして描こうとしたときも、あまりに未知すぎて、ぜんぜんわけがわからなかった「19・太陽」。その太陽が、ひとつの越境地点になるような、次の次元への門なのかもしれない、ということが、なんとなく今朝、腑に落ちたのでした。

太陽のその向こう、というものがある、と想像することができた、というか。

これまで、わたしにとっての太陽のイメージは、獅子座の守護星だということを軸にしていたみたいでした。それは、わたしの中では、なぜか「我が強い」というときの「我」の部分に加担しているもの、と感じられていました。

もしくは、カラリとした明るさ。まるで「陰」など存在しないかのように、ひまわりのような無邪気さで、激しく発散される陽のエネルギー。

いずれにしても、単一すぎて、陰影がなさすぎて、困ってしまうのでした。

でも太陽があんなにまぶしくて、なにもかも単一にしてホワイトアウトしてしまうのは、そこがひとつの門だから、異界との接点だから、なのかもしれない、ということを、思わされました。なにかひとつの極限をあらわしている、ということなのかも。。。

そこが次の次元との接点なら、タロットの「19・太陽」の意味も、少し想像しやすくなります。

タロットの19・太陽は、2つのまったく異なるシステムが噛みあう地点、という意味だと理解しています(頭で理解しているだけなのだけれど。。)。

でも、この2つの異なるシステムは、そこで「融合」したり「統合」したりはせずに、そのまま、独立した、並列したシステムであり続けるようで。

ただ、「両方ある」ということが認識できる、3番目の視点がそこにある、みたいな。2つのシステムは矛盾しているけれども、両方とも真実で、真実が「どちらか1つ」なのではない、というようなことが当然になる、3番目の視点。

2つのシステムは全然接点がないように見えるけれども、でも双方の中にあるものが行き来できる地点が(見えにくいけど)実際にはある、ということを知っている視点。。。

なんにも新しいことをひらめいているのではないと、思うけれども、今のわたしにとってなにかがリアルになってきている感じがちょっとしたので、覚え書きしました。。。

* * *

太陽系の惑星の配置に、影響を受けているわたしがいるとして、その配置は、ここのところ、いろいろな試練を運んできているような気がするのだけれども、

太陽系の惑星ではない星、遠くの恒星に気を合わせたとしたら、もしかして太陽系の惑星の動きに惑わされることが少なくなるのかも、などとも思いました。

わたしにとって、その星らしきものが、遠藤さんのところで、タロットの「17・星」を描いたときに、ほんのり存在が感じられた気がしたのだけれども、、、

実際よくわからないな。。。

posted by な at 11:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 天体と自分

2007年06月29日

ひとつの、節目

今日は、逆行していた水星が、蟹座7度で、太陽とぴったりと出会っています(これを書いている時点の時間で見てます)。そして私のネイタル(出生図)の月も蟹座7度。なんだか気分がいいです。さっぱりと。

逆行中の水星は、過去を振り返るのにいい時期、と、お絵かきの先生から聞いたことがあるけれど、たまたま、昨日は、気づいたらそんな1日になっていました。

昨日1日かけて夜まで、1999年から2006年までの手帳を引っ張り出してきて、この8年間”在籍”していた、アレクサンダーテクニックの教師養成学校(ATAアレクサンダーアソシエイツ)での記録を振り返っていました。

1999年4月から始めて、途中、一度学校から離れようとした時期があって、また戻って。。。と、紆余曲折を経たけれど、この6月で、学校を離れることにしたので、その締めくくり作業です。

卒業まで、あとは実習を残すのみ、だったのだけれど、実習をやり始めてみたところで、やっぱり、自分が望んでいるのは、アレクサンダーテクニークを教えることではないんだな、と感じるようになりました。

同級生がどんどん卒業していくなか、長い間、「教える」という段階にふみこめず、ものすごくゆっくりと歩いてきました。どうして自分はそこへふみこめないのかわからなくて、「先生」という存在について、「教える」という行為について、抵抗がありすぎて、長い時間が要りました。

それで、ここまでひっぱって、ようやく、アレクサンダーテクニークを教えることを、仕事にすることに、わくわくできない自分を、認めることができました。

ある先生から、「このテクニークのよさを身をもって享受したならば、他の人にも自然と教えていきたくなるはず」ということを言われて、それ以来、「人に教えたい気持ちにならない自分は、まだこのテクニークのよさを体得できていないんだ、まだ本質がわかっていないんだ」と思って、もっと学びを深めたいと思ってきました。

でも、占星術を知って、この世には、ほんとうに、それぞれに、いろいろな傾向を持った人がいるんだな、と実感ができて、そのおかげで、わたし自身の傾向が、その「人に教えたくなった」先生の傾向とは、違っているだけなんだな、と考えられるようになりました。

わたしは、もっと、わたしに合った生き方をしてもいいんだな、学校に入ったらといってこのまま「初心貫徹」して先生にならなくてはならないってことはないんだな、と、ゆっくり、ゆっくり、悟っていきました。

そもそも、わたしが教師養成学校に入ったのは、もっとアレクサンダーテクニークを深く学びたい、踊りに活かしたい、というのが動機でした。(当時東京には、個人レッスンを教えている先生が1人しかいなくて、その人のところへ行ったわたしは、男性と小さい部屋で2人きりで教わるレッスンにニガテ感を覚えて。。。年に2、3回しかなかったワークショップでしか学べずにいました)。

アレクサンダーテクニークの学校が東京にできることになって、そこで学べることになったときは、うれしくて、涙が出て、眠れなかったのを、覚えています。ずいぶんおおげさだけれど、でも、ほんと。。。

今も、こうして、学べたことを学べて、よかったな、と心底思います。これからも、アレクサンダーテクニークを自分の暮らしに使いながら、少しずつ、実験を続けて、発見を続けて、深めていければいいな。昔からの先生や、先生になった友達たちからも、学び続けたいな、と思っています。

学校も、この7月に目白から目黒へ引っ越すことになって、ひとつの節目を迎えていて、それも、わたし自身の節目への助けになりました。

学校も、わたしも、この7月から、新しく。。。ということで、長くいたところから離れるのは寂しかったりもしたけれど、今日は、とってもさっぱりした、いい気分です。

posted by な at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 天体と自分