2016年04月10日

今、ここ

おととい、川べりでコバルトブルーの小鳥を見かけた。カワセミではなかったので、誰かなーと思って、帰宅してから記憶を頼りに調べると、どうやら、コルリかルリビタキのようでした。この川沿いは、ハクセキレイとキセキレイも大勢いるし、カルガモやシラサギ、アオサギもいて、大変たのしいのでした。河鹿蛙もいるらしく、シーズンになったら声を聴きにまた行きたいな。

今朝は、腹を据えて今を生きる、ということについて、起きぬけのおふとんの中でいろいろ体験的情報を受け取りました。痛みがあるとき、問題があるとき、その痛みや問題がなくなる未来の時間を目指して突き進んでいくかわりに、痛みや問題がある「ただ今」をちゃんと体験して生きてみる。それさえすれば、痛みも問題も、おのずと、自然に、変容し始めるんだということを、改めて。未来への逃避をやめさえすればいいんだった。。。なかなかどうして、今がくるしいとすぐに未来へと意識が抜けだしてしまって、今を生きられなくなることが多いのだけれど。その未来逃避の中であれこれ考える解決策は、ある程度功を奏するけれど、おのずと起きる変容に照らすと、ずいぶんと小手先感が否めない。。。自分のわかっている範囲内、知っている範囲内、考えられる範囲内での解決策にしか、ならないからかなあ。。

たとえばからだの痛みの場合、この地球ができて、生き物ができて、そこからずうっと長い時間をかけて「ひと」という生き物になった、その末裔である自分を思い出してみると、たぶん、数十年しかここに生きてきていないわたしの記憶や考えよりも、何万年もの体験をうけついで今にいたっているわたしの体のほうが、きっとどうしたらいいかを知っていて当たり前なのだった。この地球という重力場の中でのあり方について、この自然環境のなかでのあり方について、体はたくさんのことをすでに知っていて、わきまえているはずなのでした。

わたしの偏狭な知識でもって、あれこれからだに指図することは、本末転倒というか。そもそも、ほんとうに、わたしが意識でもってやれる最善は、「余計なこと」をやめることのみ、なのだった。。。「指図」はすべて、自分がどうしてもくせでやってしまう「余計なこと」をなんとかやめさせてもらうための工夫でしかなかったのだったっけな。

安心してまかせればよかったことだった。。。わたしが今ここにこうしているために「こうしてなくちゃ」と思ってやっているいろんなこと、自分で自分を支えようとしてがんばっている努力、「これはやめたらやばいよ」と思っているその努力こそを、思い切ってやめてみると、

からだがおのずとふわーりと動き出して、ふだん気づかず固めていたところがどんどん解放されていって、おもしろかったのでした。そしてただここにいる、というのは、こんなに努力のないことだったのか、というか、こんなに気持ちいいことだったのか、と気づき直したというか。

何かを「耐えて」いつづけてしまいがちな自分にとって、「耐えている」のがなじみの感覚になっている自分にとって、この気持ちよさにとどまるのもまたチャレンジなんだけれども。

でも「耐える」というのは、要はやっぱり未来逃避だったな、と思った。「今だけ耐えれば、そのうち終わる」と思って、「今」をなんとかやりすごそうとしている、「今」が終わるのを「待っている」意識は、苦労がなくなる未来のある時点をめざしちゃってる。「受け入れる」のは「好ましいと思う」こととは違う、と言われるたびにはっとするのだけれど、好ましくないことを「耐えて」いるかわりに「好ましくないまま受け入れる」ということなんだろうな、「今」をほんとうにただ体験して生きるっていうのは。。。

最近体感したのだけど、「待つ」という行為は、ほんとうに、連続する今を生きているときは消滅してしまいますね。踏切の手前で、電車が通過するのを「待つ」あいだ、まわりの世界への興味が一瞬一瞬持続しつづけて、今を生き続けていると、「待っている」感覚はなくなってしまって、ずっといろいろいろんな体験をし続けていて、あるときぱっと踏切が開いて、「あ、開いた」と思って、持続する今の中でただ渡っていく感じになるのでした。「待つ」という感覚になるときは、もう「今」を生きていないときなんだなあ、と思った。

誰かを待ってあげられることが、やさしさだと、考えていたことがあったけれども、もしかしたら、待ってるつもりもなく、持続する今の中でそこにいられたら、なおさらいいのかもしれないな。。。

アレクサンダー・テクニークの先生のトミーがこのあいだ、人と出会うシーンについて不思議なワークをしていたのを思い出しました。2人の人が出会うにあたって、お互いに「わたしは(な)です、この出会いには始まりも終わりもありません」と声に出して言ってみる、というワーク。そのときは、なんだか「はてな」と思いつつ見ていたけれど(わたしは通訳だったので参加せずに)、でも。

「今」は、ただ連続していて、ほんとうに「今」にいると、始まりも終わりも、ない。。。!ということが、後になってじわじわと、私の中に浸み入りました。トミーは、「今」の連続性について、伝えようとしてくれていたんだなあ、と。。。

ほんとうに、「今」にいることが少ない自分。。。いつも逃げ腰で腹が据わっていないのだなあ。おもしろいな。

* * *

「今」の連続性とおなじくらい、トミーから今回はっきり伝わってきたのは、私は「ここ」にいるんだ、ということ。

誰かと話をしているとき、相手のところに注意がぼっと出向いていくけれど、そのときに「This is me having the experience of talking to her(彼女に話すという体験をしているこれが私)」と自分に言ってみると、自分のいる「ここ」に戻ってこれるのが、物理的にわかります。トミーはかつて、「あっち(there)をこっち(here)にしてみて」という言い方もしていて、「はてな」と思ったときもあったけど、あれも「ここ」に居続けるためのものだったんだなあと思う。0.1ミリも、出て行かないで、ちゃんと「ここ」に居続けるということは、0.1秒も未来へ先走らないで、連続する「今」の中に居続けることとおんなじ。

なにをしているときでも、今、ここ、にただいればいい。のだけれど、物理的に実践するとなると、言葉で言うほど全然かんたんじゃないのはなんでなんだろうな。おもしろいな!

今、ここ、から自分をはじきとばす「余計なこと」を自分に対してしている自分に、ただ気づいていく練習を、忘れたり思い出したりしながら、続けるだけかな。いろんな刺激に反応して、スグ今ここから自分をはじきとばすわたし。。はじきとばし行為にジェントルに気づきやすいのは、自分がなにかをし始めるとき、なにかをしようと思いついた瞬間だから、とりあえず、そこを視野にいれよう、今、ここで。。。

posted by な at 17:41| Comment(0) | ひと であること

2016年03月07日

春の雨と涙

20160304_112242 クロッカスが咲いています。今朝は、涙がいっぱい出て、ひさしぶりにほっとゆるみました。

ずっと、張り詰めていたものがあったみたい。相方からは、「言葉に勢いがあって怖い」「怒らないで」などと言われていたこの頃でした。自分でもなぜかわからないけど、焦燥感に襲われていて、ティーンのころから繰り返している「ザ・ストレスフルな夢」No.1の、飛行機に乗り遅れそうになる夢を見たり、あとはここしばらくは、なぜか、さまざまな猫が夢に現れていました。顔見知りでない猫たち。今朝もうすいグレーの無地の毛の自由猫がいて、掃きだし窓を大きく開けて、家の中に入ってもらう、という夢でした。

思えばこのところ、仕事もチャレンジの多いもの(訳出に工夫の必要のもの)が続いているし、あとは、春の雨が多くなる前に、家の外壁のペンキ塗りをしなければ、とずっと焦っていました。

20160227_121236_2 ペンキ塗りは、何をどう塗ればいいかさえまったく手探りだったせいもあって、素地を整える作業を始められたのは、暦の上でもすでに雨水を過ぎてしまった2月25日。。。何日もかけて、ウッドリバイバージェルという、灰色化した木材をよみがえらせるジェルを塗ってブラシでこすって洗って、素地を整える作業を、もくもくとやりました。20160226_152607大変だったけど、ひとかわ剥けて、みずみずしいもとの木目が現れるのは、楽しかった。お化粧直ししたみたいになるのです(写真の一番左のパネル以外は、作業が済んだところ。明るい色になって木目もあざやかになるのです)。そしてようやっと先日、塗料を塗るところまでこぎつけました。

(塗料はペンキというよりは、オイルステインみたいな自然塗料で、塗った後も木は呼吸を続けられるタイプのものです。中に浸透して耐候性を発揮するんだそうです。お世話になっている岐阜の森林文化アカデミーの、学校説明会を最初に聞きに行ったときの東京会場が、その塗料のメーカーのショールームだったのと、森林文化アカデミーのすばらしい木造校舎がみんなそこの塗料で仕上げてあると聞いたのとで、そこの塗料に決めました。オスモというメーカーです。メーカーに電話でお問い合わせをしたら、サンプルを送ってくださり、今の壁の状態を細かく尋ねたうえで「これを塗って大丈夫です」と教えてくださり、よかったら現場を見に行きましょうか、とまで言ってくださって、とても丁寧に対応してくださいました)。

20160226_103429大家さんは、ファンキーな方だということもあって、外壁に塗り直しが必要だけど、何を塗ってもいい、色も好きなようにしていい、失敗してもいいです、とおっしゃっていたので、はじめはわたしもごく簡単に考えていました。ホームセンターに行って透明なニスでも買ってきて塗ればいいのかな、雨さえはじけばよいのだものね、と。でも少しネットで調べていくうちに、家の外壁の塗装はそう簡単に考えて素人仕事をしてはいけないらしいことや、木の壁にとって何がハッピーそうかがわかってきて、うんと慎重になりました。

慎重になると同時に、プレッシャーも半端なかった。。。サンプル塗料を試し塗りして色選びをして、面積を測って計算して、作業手順を考えて、どんな場所にどんな養生が必要かを考えて、実際の作業日程を考えて、道具を集めて。。とやっていくなかで、どんどん大ごとになっていき、失敗はゆるされない、とまで思うようになっていました。古いとはいえ、借りているおうちで、だいすきなおうちだから、万一自分たちが引越さなくちゃいけなくなっても次の人に気に入ってもらえるようにしておきたい、と先々のことを思うとなおさら。

素地を整えてから、塗料を塗るまでの間に雨が降ってほしくないし、塗料も2度塗らなければなので、1度塗りと2度塗りのあいだや、2度塗りした後しばらくは、雨が降ってほしくない。。。なのに、素地を整える作業が思いのほかタイヘンで、何日もかかってしまって、もたもたしてるうちに、予想通り雨の多い季節になってしまったことも、大変さに輪をかけました(涙)。

一雨ごとに暖かくなって春らしくなってくるのは、いつもは歓迎したいことなのに、ペンキ塗り作業の今年は雨の予報を見るたびに気持ちがずん、と沈む始末。

20160304_112303 でもなんとか2.5日は晴れが続きそうだった先週終わりに、ようやく一番劣化の激しかった東の壁と北の壁の一部は、なんとか塗料の2度塗りまで終えました(写真はそのときの途中経過)。

ようやく全体の1/4くらい終わった感じです。そして今日も雨。残りは、もう乾燥した季節のあいだに一気にやるというのは無理かな。。梅雨入り前までに、天気をみつつ気長にやるしかないのかな、と思い直してします。自分の精神の健康のためにも、そうしないといけないかも、と今朝の涙とともに思いました。

仕事のプレッシャーに、季節とのおいかけっこも加わって、とにかくいつも追われているような気ぜわしさでした。こうして自分の感じてることを「書いて消化する」という作業もずっとしたかったのに、そんなの書いてるひまがあったら仕事をしないと、とずっと思っていました(実は今も少し思ってる)。

でも無理して仕事に自分を追い込んでも、精神のコンディションがいまいちだと、言葉の出も悪くて、遅々として進まず。。。それでもそこを押してがんばって、長時間画面を見続けて目からは涙が出てくるし、長時間椅子に座りつづけて腰がしんどくなるし、ごはんを作る時間ももったいないから適当なものをかじりながら翻訳作業を続けるしで。。さらにコンディションは悪くなる一方だったみたいでした。つらさのなかで家族に当たっていたみたいでした(無自覚でした、自分はつらさをわかってほしかっただけでした)。

極まって反転するところまで、落ちていかないといけなかったのかーと思うと切ないけれど、そんな感じだったみたいです。ほんとうにせっぱつまって視野狭窄が起きていたなーと思う。「これをやらなくちゃいけない、はやく」というふうに一点集中して頑張り続けてしまって、ほんとうにいけなかったなあ、と思っています。

仕事は人為的な〆切とのせめぎあいだけど、ペンキ塗りは季節という自然のプロセスの進行とのせめぎあいで、自然が相手だと、なおさら不可逆的なのでせっぱつまるのでした(ペンキ塗り以外にも、おとなりさんに剪定していただいたセンダンの枝が乾きすぎすぎる前にいろいろに活かせる形にしてあげないと、とこれも、季節&時間とのせめぎあいになっていました)。

焦るなかで、ないがしろになることが、いろいろにあったな、と思う。家族への思いやり、自分の精神のコンディション、季節のめぐりへのリスペクト、家(&外壁)やセンダンの枝たちの声を聞くこと、などなど。

20160304_112153 クリスマスローズのあとにクロッカスも咲きだして、気温も上がってきて、雨がたっぷり降るようになって植物のみなさんにはうれしい芽ぶきの気節。

涙が出てくれて、自分の中にも雨が降って、自分の中の草木も一心地ついてよろこんでいそうに思う。走り続けていたのを、やっと立ち止まって、仕切り直せそうな今日です。

大好きなことほど、不安をもったり焦ったりしながらやってしまうことは、したくないな、とふかぶかと気づきました。これからは、不安になったり焦ったりしなくてよくなるようにできるだけ工夫しようと思う、そのためにやれることはやっていこうと思う。家の壁塗りも、生木の木工も、家族との暮らしも。

「心」が「亡」くなると書いて「忙」という字になること。ネット上の情報は不安になりやすいものも多いこと。そこを覚えておけるといいなと思う。考えたり感じたりさえもできないくらい時間に追われてる、不安に覆われてる、みたいになっちゃってるときには、早めに気づけるようになりたいな。

posted by な at 14:08| Comment(0) | ひと であること

2015年11月20日

手を動かす、注意を広げる

20151119_123233 このとこいろいろぱたぱたしてたので、久々にちゃんと自分を幸せにすることがしたいな、と思って、桜の枝を削りました。あんまり時間はたくさんとれないので、小さい枝を少しだけ、だけども、しばらくナイフ持ってなかったから満足でした。ちびちびスプーンになった。

木を削るのは、お外にいるときと、自分ちにいるとき以外はやれないので、仕方なく出先(電車やカフェとか)では編み物をしてますが(靴下専用の短い棒針で)、そしたら尊敬する木工 家の方が、著書の中で、「いつでもどこでもやれるのです、エプロンの上に削りかすを落とすようなやり方を身に付けたらいいんです」みたいなことを書いてい て、しかもその本の著者写真は、実際に電車の中でエプロンつけて削ってらっしゃるお姿で! およよ、と思って、今回は「エプロンの上だけで削る」という練 習もしてみようと思ったのでした。やってみたら以外とやれないこともなかったけども(こんなちびたものを削る分には)。でも電車の中でナイフ出してたら やっぱりまわりの人は怖いよね。。。

* * *

今月に入ってから、仕事や用事にきうきう追われてましたが、はからずも、おべんきょうもそこここでできて、書き留めておきたいことがいくつかあったのでした。

ひとつは、箱根の畑宿というところを訪ねたこと。いつも体調管理のために日帰りでお世話になっている温泉があるのだけど、なんとそこからバス1本で畑宿に行けることが判明したのでした。

箱根寄木細工の由緒ある場所として、いつか行ってみたいと思いつつ、公共交通機関でアクセスするのは大変な場所だ、というイメージを持ってたのが、あっさりくつがえされた。

Dsc00694blog この写真は、リボンみたいにきれいなもようの鉋くず。というかほんとは、無垢の木を模様になるように貼り合わせて鉋で削ったものは寄木細工のパーツで、「くず」を逆まにして「ずく」と呼ばれるそう。薄さ0.25ミリくらいに削って、貼り付けて使うのです。

畑宿寄木会館の係のおばさまによると、箱根の寄せ木細工の職人さんは、いちばん充実するのが70歳代になってからだそう。その人たちが鉋をかけると、もう音からして違うのよ、と。80歳代でも現役、と聞いて、お歳を召すと視力や手先の器用さが衰えたりはないんですか?とたずねると、逆よ逆、視力は落ちないどころかあ たしたち(中高年)よりずっといいの、老眼にもなってないのよ、指の運びももう体に浸み込んでるから狂いはないのよ、とのこと。職人さんの凄さを垣間見 た。。。

Dsc00699blog 一番難しい模様のパターンは麻の葉模様。二番目に難しいのが、紗綾形模様(写真左下の大きめの)。「それだけでも覚えていって!」とおばさまに言われた。。麻の葉模様は、若手できっちり出来る人はまだあんまりいないみたい。

刃ものの砥ぎだけで3年、という修業をやるような若手がいなくなっているから、ということだった。時代も移り変わって、好まれる商品も変わってき ているんだそうで、名人からすると「寄木とは言えないくらい、カンタンにつくれる」もののほうがよく売れている、という現実がある。。

技はこうやって失われていっちゃうのかな。。。と危惧したけれど、でもこの地域に5人くらい、ちゃんと受け継いでいる若手がいる、とおばさまは言ってたので、まだまだ大丈夫なはず!

今は寄木は専用の木工用ボンドで接着しているということでしたが、かつてはクジラの骨からつくったをつかったそう。さらにその前には、続飯(そくい)というご飯粒からつくる糊でくっつけていた時代もあったそうです(寄木会館の係のおばさま談)。続飯の糊も、そのうち自分でもやってみたいです(松脂の糊も、やろうと思っててまだなのだった。。)。

20151120_202216 帰宅してから相方が、『箱根細工物語〜漂泊と定住の木工芸〜』(岩崎宗純著)という本の存在を教えてくれました。近所の図書館にあったので、さっそく借りてきた。

箱根の木工のこれまでをかなり詳細にドキュメントしているすばらしい本なんですが、それを読んでいて驚いたのが、箱根・小田原地方にも木地師の祖といわれている、惟喬親王の伝説があったこと。

木地師の使う「ろくろ」を思い付いた人として木地師、木地屋の祖とされてきた惟喬親王は、近江国(現在の滋賀県近江市)の蛭谷というところと君ヶ畑というところに由緒があるという説が一般的で、木地師のルーツの地はそこだ、という認識をわたしもこれまで持ってました。

箱根・小田原地方に伝わる伝説では、流罪になった惟喬親王が家臣とともに舟で相模国に漂着(海上の風浪荒かったため)し、そこから伊豆に行き、親王はやがて亡くなって、その後、加藤、小倉らの家臣は相模国の早川に住み付き、そこで木地挽きを生業とした、とのこと。

ただこれは史実の確認がとれない「伝承」で、もっと確実に裏が取れるような史料から木地師の存在が確認できるのは、この地方だと箱根畑宿のほうだと書いてありました。

岐阜で円空さんの足跡を訪ねて粥川村のふるさと館や関市の円空館をたずねたときも思ったのだけど、かなり昔の出来事で確実なことがわかっていないことになると(たとえば円空さんの出生地など)、地元では、「ここです」と断言しがち。諸説あるけれども〜、とはならず、「もうそうなんだ」ということになってしまうのは、やはり地元愛なんだろうな、と思う。

そんなこんなで、これまで信じ切っていた、「木地師の近江国ルーツ説」も、ひとつの説として、とらえていく視点がもらえました。ただ惟喬親王の伝説の是非は別として、やっぱりこのあたりの地域が日本列島の中でもいちばん早くから木地挽きをやっていたらしいことは別の分析(化石としての「地名」や「文化」の分析)からわかっているらしいです。そちらはこの『ろくろ』(橋本鉄男著)という本に詳しいです。今楽しみながら熟読中。20151114_172235

でも!木地挽きのルーツがどこなのか、とかそういうことが本当に知りたいのでなくて、わたしが本当に興味があるのは、どんなふうに木地挽きを実際に行っていたか、のほう。生木でどこまで加工したのか、どんな樹種を使ったのか。道具は?季節は?山での暮らしは?etc。

自分はまだ、ろくろで木を削ることはしたことがないので(イギリスのマイクさんのとこでも削り馬だけで椅子づくりをしたので)、イギリスのろくろ(pole lathe)と日本のろくろ、両方に興味津々です。

イギリスのろくろは、はね上げ式の足踏み式で、立った姿勢で、片足で踏んで操作するタイプ。日本の古来のろくろは、手回し式で、座った姿勢で、2人組の1人がろくろを回すようになっています。

この日本のろくろが、初めて足踏み式になったのは、箱根でのことらしい(上の2冊の本によると)。ただ、日本の足踏み式ろくろは、跳ね上げ式ではなく、両足で交互にバーを踏む形式で、ちょっと機織り機みたいな大がかりなデバイスです。

箱根の職人さんがこれを東北の地に伝えたそうで、こけし作りで有名な宮城県鳴子にもこの職人さん(伊沢為次郎さん)は行っているのだけど、現代の鳴子のこけし職人さんがかの地に伝わっていたという足踏みろくろをデモンストレーションで使っている写真があったので、見てみたら、やはり両足で踏むタイプでした。

* * *

マニアックな話になってしまったけれど。自分はなんだかんだ言って、ただ木を削ることが好きなので、ナイフ1本でやっていく境地にあこがれもある。円空さんもそういう意味ですごいと思うし、北欧のブッシュクラフトに大いに惹かれるのも、そこらへんかもしれなです。ナイフ1本持って森に入って、それでできる範囲のことをしたいというか。。。森とつながりたいだけというか。。。

そういう意味では、自然環境再生士の矢野さんに、今月また学べる機会をいただけたことは、自分的には大ニュースでした。今回は場所が自宅から結構遠かったのだけど、助成金が降りる講座となったそうで参加費免除になり、自分の予算内で行ける機会だったのでがんばりました。

20151115_123701 おじゃましたのは、藤野。トランジションタウン藤野の森部のみなさんがお手入れしてきたこのフィールドは当初は篠笹がびっしりおいしげり倒 木が散乱し、立木も枯れかけていた場所だったそう。矢野さんの指導のもとお手入れをして3年経った今では、立木(ツゲ、スギ、クリ、カキ、エノキなど・・・ヒノキぽいのもあった気が)は葉っぱが元気につい ていて、カキは鈴なりに実がついていて、フィールドにはさわやかな微風が。

20151115_124151 かつて土砂や倒木でつまって流れがなくなっていたという小川にも、水が流れてま した。しかもこの日は雨上がりだったけど、澄まし汁のようなちょっと白濁した澄んだ水で、泥水ではないのでした。水脈整備による森林の再生、すごいな、と改めて思った。

お手入れがまだの、奥のほうへと作業をしていくと、なるほど、最初こんな感じなのが、こんな感じになって、すると風と水が通ってそこにいる生きものたちに とってさわやかなふうになるんだな、というのがちょっと体感できました。そして早くも、あらたに整備した水脈の水量が増し始めたのにはびっくりした。

かつて人が手を入れて、そのまま放置された人工林や里山が、どんな窮地に陥っているか。日本列島の自然は天然のままだったらどんなふうか。知りたかったことが少しずつわかってきていて。もういちど、そうした場を生きものの皆にとって喜ばしい場にするために、できることがあると知っていっていくのは、ほんとに嬉しい。人としての責任を果たすことにつながるし、作業自体に喜びもあるし。。。しかもそれは、グリーンウッドワークとおんなじように、昔の木工とおんなじように、手道具(移植ゴテやノコ鎌)で、手作業でやっていくことなのが、本当にうれしい。(機械を使うにしても、手道具での作業をとおして、やったことへの自然からの反応、フィードバックを感じ取る、ということをしていれば、機械も手道具と同じやさしさを持って使うことができます、と矢野さんがおっしゃってたのも印象的でした)。

20151115_123513 矢野さんのお話にはどれも、心がわいわいわおわおとなって、メモをとりまくってしまうけれど、でも肝 心なのは言葉での学びでないところなんだなあ、と最後はそれが残りました。あの場にみなさんと一緒に身をおいて、よくわからないなりに身体を動かして、空 気や水や木々や自分たちを含めた生きものみんなの様子を自分全部で感じることのほう、そっちのほうを重ねてくことなんだろな、と。

大勢の初対面の人と会う のはめちゃくちゃ緊張するけども、それでもだな、がんばりどころなのだな。やすみやすみ、がんばる。。。

おしみなく伝えてくださる矢野さんと、こういう場をつくってくださっているみなさま、ほんとにありがたいです。

自分と、自分をとりまくもの(時間=歴史や、空間=森林・里山など)と、両方を意識の視野に入れながらやってくこと、注意の場をつなげて広げてくことに、最近は関心が向いています。。。(アレクサンダーテクニーク的にも)。

posted by な at 22:44| Comment(0) | ひと であること