2017年05月10日

自由の体験

満月前夜。ウエサクの。

数日前、ひさしぶりに精神が壊れました。

たぶん神経がまいって、疲れがピークに達していたんだと思う。

120人の人と連日一緒に過ごした、合宿の日々。そもそも大人数の場が、わたしにとっては大変難しく、ただそこに居るだけでチャレンジでした。初日夜のセッションから合流して、2日の夕方には電池切れに。個室に避難させてもらって、少し眠りました。

一番苦手なことにチャレンジして、なんとかやれたけど質はどうにもこうにもという結果になって、悲しかったり。。。

通訳チームの一員として、みなさんの学びとコミュニケーションがなるべくスムーズになるように、自分が通訳を担当する時間以外のクラスにも出席して、内容を把握しておいたり、他の通訳さんがどんな訳語をあてているか学んだりしていたので、朝から夕方までは結構ぴっちりで。ぼんやりする時間をほぼつくらずに過ごしてしまった。そこにいることを楽しむとか、学びを楽しむとかのゆとりなどなく。。4日目夜には神経が参ってしまった。

大人数が集まるイベントの通訳がこんなに苦手になったのはいつからだったろう。こんなに過剰反応せずにできていた時期も、すごく昔はあったことを思うと不思議。作家さんたちのイベントとか。舞台の上に立ってマイク持って通訳もしていた。あれは若気の至りというやつだったんだろか。それともこの過剰反応は、やっぱりこの合宿を構成しているコミュニティにまつわるものなんだろかな。このコミュニティでの自分の立ち位置が規格外なことに起因しているのかな。20年関わり続けてきてしまったこのコミュニティが、自分にとっての”ホーム”でなくなってから久しいこと。。。?

精神が壊れたときのことを、振り返ってみる。主観的に体験したことを書いておいてみる。

まず、まわりの人のなぐさめやはげましの言葉が、ぜんぜん体に入ってこなかった。どうしようもなく。言葉をもらえばもらうほど、自分がただいま体験しているきつさは決してわかってもらえはしないんだという絶望感が募った。わたしの認識が間違っていることを教えてくれようとする言葉が、耳に入らない。わたしの認識が間違っているかもしれないという可能性を見るゆとりがなかった。自分はここにいる価値がない、という認識は岩みたく固くて、まったく揺らがなかった。

夜中、ふとんを抜けだして、そのまま外へ出て海まで歩いた。何も考えることも感じることもなくて、ただ、のっぺりとした絶望感の中で、体に運ばれるまま歩いた。このとき、いつもの自分の歩き方とはぜんぜん違う歩き方をしていた。腰の入り方がまず違っていて、そしてなんだかスタスタと歩けて、いつまでもどこまでも、疲れることなく歩けるふうだった。体が楽だった。いつもの緊張から解放されていたっけ。それに暗い夜道をひとりで歩いているのに、なんにも怖くなかった。恐怖心がみじんもなかった。そういう意味ではすごく自由だったな。不思議なほど。あとで相方にこれを報告したら「エゴがなかったからだ」と言われた。

海まで来て、月を見て、しばらく座った。向こう側へすでに旅立っている家族を思い出して、名前を呼んだ。もうやめさせてほしい、そっち側に連れて行ってほしい、と心底願った。

そうやってしばらく泣いて。それからまた家へ歩きだしたのだけど、歩いているうちに、ひらめいた。生きていることを「いいこと」とする信念が出回っていて、自分もそれを信じようとしてきたけど、自分の体感・実感は真逆だということ。まだ生きることを終わりにさせてもらえないのは、まだ年貢が明けないからで、自分がそもそも、とても悪かったからだ、だから今はまだ耐えて、ここで年貢を納めないといけないんだ、と。そういう想いが出てきて、それはとても自分の体感にしっくりくる想いでした。生きていることをポジティブにとらえたことは、やっぱり自分は昔からなかったみたい。ポジティブにとらえることがいいことだ、と考えて、そうしようと試みてきたのはあるけど。

ここにこうして生きていることが苦行に感じられる。なんとか苦しさから気を紛らすために、楽しいことをいろいろ見たり考えたりやろうとしたりしている自覚は、常にありました。でもときにほんとうに疲れはてていて、もう終わりにさせてほしいと切に願うときが来る。もう許してほしいと。

この世界は美しい、と人は言うし、そのように思える瞬間もあるけど。でもデフォルト思想としてそう思えるかというと、違うみたい。ほんとうに自分の感覚に正直になると。。。

軽やかに明るい人になりたくて、そうなりすましているつもりになったりしてもいたけど、自分はやっぱりそうとうな暗さを抱えているんだな。それについては、どうしようもないんだな。耐えることはよくない、好きなことをして生きていくのがみんなの幸せのため、世界平和のため、とされる風潮の昨今、耐えている実感がある自分を持て余してしまう。世界に対して申し訳なさが募ります。

居場所が、ないというか、肩身が狭い。

この肩身の狭さ、不自由さと、夜道をスタスタ歩いていたときのあの自由さは、対をなしているのかな。能面のような顔をして、てぶらで部屋着のまま、真夜中に浜のほうへ夜道を横切って歩いたわたしは、通りがかった車の人とかからみたら、おばけか、というくらいの気味悪さもあったかもしれないけど、そんなことも気にならなかった。めちゃくちゃ人が怖くておかしくなったのに、あのときはまったく人が怖くなかった。

あのときわたしは、社会の外へ出ちゃっていたんだな。ほんとうに外れ者になってた。そしてあの境地は、すごく自由だったな。

わたしは社会を気にし過ぎなのかな。まわりの人のことを。もっと人のことを気にせずに、ここにいてみたらいいのかな。外れ者なのは、どっちみち変わらないんだったら。

尊厳を持って生きたいという願いがありました。尊敬までされなくてもいいから、存在することは認めてもらいたかったというか。

それでせめて、みなさんのお役に立てれば、ここにいてもいいことになる、と思えて、一生懸命お役に立とうとしてきた。

ぼんやりと自分のままでたら、ここにいてはいけなくなる、というのがありました。お役に立っていないと、と。でもそうやってがんばっているの、つかれました。

役立たずのわたしのまま、ただ、ここにいるしか、いまはできなさそう。ちきゅうに、ごめんなさいとおもう。

今まで学んできたさまざまなツールやメソッドがあるのに、どれも使う気になれない。前向きに自分を振り向けるだけのエネルギーが、ない。うずくまってるしか、ない感じで。たぶん生き物としての自分の本能に、まかせるのがベストだと、どこかで思っています。

あらゆる小手先の工夫に背を向けて。自分の主観・体感だけに従う。そういうプロセスを欲してもいるんだと思う。主権の回復。あらゆる”正しさ””ふさわしさ”“望ましさ”から離れて、ただの自分がただいま体験していることを、ただ体験していたい欲求。

いまだけは、そういう時間なんじゃないかと思えています。翻訳仕事もちょうどいまだけ、少し空白をもらえているし。

そうやって自分の体験とただ共に居る時間を、ふだん、持ってこなさすぎたのかもしれなくて。いつでもすぐにどこかへ向かおうとしすぎてたのかもしれなくて。白旗を上げて、ただここにいる。

posted by な at 19:37| Comment(0) | ひと であること

2017年01月21日

夢と天のくに

今朝。印象的な夢を見ました。

すでに他界している母と、祖母が、わたしを迎えにきてくれた夢。夢の中ではふたりとも生きていることになっていて、ふつうに、最寄駅かどこかに降り立ったわたしを、車でピックアップしに来てくれたのでした。母が運転をして、祖母が同乗して。そして家に帰るまでの途中で、買い物に寄る、といって、みんなでイケアに行きました。

そこの地域のイケアは少し変わっていて、同じ建物の別のフロア、4階だったかな、は、イケアと関係のない別店舗になっていて、なにかディスカウントショップのような感じでした。ヨドバシカメラ風?な。

そこで、母が時計を買う、と言って、いろんな腕時計を見て回り始めたのでした。

わたしも最初はつきあって、一緒に見てたけど、そのうちに、なんだかものすごくくたびれてしまって、(というのも、わたしはこの最寄駅でピックアップしてもらうまでに、長い距離を旅してきていたし)、思わずふだんはしないことだけど、母に「ごめん、ものすごく疲れちゃってるから、あっちの駐車場の脇のベンチのとこで、休んで待ってていい?」と言いました。

母は、いいよ、と言ってくれたので、そちらへ行きました。駐車場脇には、小さな売店があって、ソフトクリームかなにかが売られているみたいで、ベンチもあった。そこに腰かけて、母の買い物が終わるまで、待っていました。

で、しばらくそこにいたけど、どうも母とはぐれたようだったので、ここにいることを伝えないと、と思うのだけど、考えてみたら、母はケータイが壊れたからこそ時計を買おうとしてたんだ!と思い出して、連絡手段がないことを思い至りました。

で、仕方ないから、姉のケータイに電話をした。そしたら姉が出て、「父が、(な)がくるのに掃除をしてなかった、といって今がんばってやっていて、3時間後に来てと言っている」と聞かされました。。。

目ざめて、ああ、久しぶりに夢で母と会ったなあ、と思いました。祖母とも。母と祖母が一緒に出て来てくれるなんて、珍しいなあ、とも思って、ふしぎにも思いました。

ちなみに、この夢を見たのは、誕生日の翌日で、誕生日の朝も、印象的な夢を見ていました。

去年の誕生日は、富士山がでてきて、その富士山のまん中が縦に透けて見えていて、そこから龍が空へ昇って行くのが見えた、という夢でした。しかもその富士山を見た場所は、グリーンウッドワークの師匠、マイクさんの椅子のモニュメントが置かれた森の一角でした。

今年の誕生日の朝見た夢は、下北沢を相方と歩いていたら、ものすごく野趣あふれるすてきな場所に迷い込んだのでした。下北沢にこんなところがあったなんてね!と言って、人っ子ひとりいない、その里山を歩いて、「ここの土地の一角を買えたらいいよねえ」とかのんきなことを言いました。

でも道には迷っていたので、ほんのりとわだちのある道筋を「こっちかな?」という方向へたどっていきました。すると、前方に犬の散歩をしている年配の女性と、その姉妹らしき人がふたり、歩いていました。その3人の女性は、背後から私たちが来るのに気づくと、ものすごくハデに驚いて(ほぼ、おののいて)いました。

この野趣あふれる土地全体は、彼女たちの所有地で、どこからもアクセスできないようになっているから、誰もにも知られていないはずだった、ということのようでした。

迷い込んでしまったわたしたちを、彼女たちはとりあえず、自分たちの家まで連れて行ってくれました。古い日本家屋みたいな感じのところ。

でも歓迎された、という感じではなくて、招かれざる客が来ちゃったから、とりあえず帰り道(ここからの出口)を教えるためには家に通さないと、といったふうでした。

家の中には、姉妹以外の人たちがいて、若い男性が、先だっての選挙の運動についての反省を口にしながら、なにか話し合っていたのを見かけました。

この3姉妹は反原発運動に深く関わっていて、選挙運動もがんばっていたようでした。ただ、表立ってはそういうことが表明できない世の中になっていて、人目につかないこの敷地内で、さまざまに活動をしているようでした。

わたしはそういう努力をしている人たちとはまったくちがって、のんきに自分の関心時をおいかけて、おもしろがっているばかりだなあと反省しました。。。

そうこうするうちに、家の出口から外へ出ていました。手には3姉妹からのおみやげを持たされていました。ていねいに編み込まれた、金色の葦のような素材の手提げ袋の中に、なにか入っていました。

手提げ袋がいい手仕事だったので、すっかりうれしくなって、わたしは相方に「なんだか私たち、わらしべ長者みたいだね」と、またのんきなことを言いながら、歩きだしました。

家を出るときは、ほんとうにさりげなく出るという感じで、3姉妹も他の人も誰も見送りにきたりなど一切しませんでした。

この夢から目覚めたときは、ちゃらんぽらんな自分へのうしろめたさが、後味として残っていて、去年の富士山の夢のときのような、爽快さとおめでたさは感じなかったので、今年のお誕生日はこういう感じなんだな、と思いました。

それで、お誕生日そのものも、なにも特別なことはしないで、ふつうに過ごしました。とはいっても相方は、体調がしんどいのを押して、好物の手づくりコロッケを、むらさきいもで作ってくれて、夜ごはんにごちろうしてくれたので、これは十分特別だったのだけど。。!

* * *

それで眠って、今朝みたのが、亡き母と祖母が迎えにきてくれた夢だったのでした。

ひさしぶりにふたりに会えて、うれしかったな、と思ったりして、おふとんの中でしぶとく余韻に浸っていたら、先に起きて隣部屋に行った相方が「ええ・・?」と変な声を出していて、どうしたのかと思ったら、今朝がた、相方のお父さんが急に他界した知らせが来ていたのでした。

しばらく、現実味ゼロのその知らせを前にふたりしてぼんやりしていました。その後も少し思考は働くし、話もできていましたが、今思うと、やっぱりまだ事実が体に入っていってなかったんだな、と思います。

今日は1日、なんだか所在なく過ごしました。何をしているべきなのか、何をしておかないといけないのかetc.がわからなくなっていて、毎回、「待てよ、ええっと、今はこれをするんだったっけ」と自分に言い聞かせつつ、1日の中を通っていきました。

でもなにかというと、すぐぼんやりして、どうでもいいことを考え出したりして、どうもまともに考えられない感覚が続きました。それから、目玉の裏側に、涙がたまっている、例の感覚もずうっとあって。

お風呂に入って、今こうして今朝の夢だけ、書きとめておきたかったんだと思って書き出したら、少し、マインドの焦点があった感じです。そして、母と祖母が夢で会いに来てくれてたのは、ひょっとして、相方のお父さんのためでもあったのかな、と思い至りました。ここしばらく体調をくずして入退院を繰り返していて、今回の入院は、とりわけ気がかりな日々が続いていた、相方のお父さん。

天の国へ、お父さんはびゅいーと飛んでいったりしないで、歩いて行っていると思う、と相方が朝食を食べてるとき言って、涙ぐみました。わたしも、きっとそうだと思う、と言いました。お父さんは、歩くのが、ほんとうにお好きな人だったから。

病院での最後の日も、ずっとベッドで寝たきりだったところから、起きて車いすに乗ったり、つきそってもらいながら自分でお手洗いにいったりし始めることができるようになって、うれしそうだったと聞きました。退院に向かって、そうやってリハビリ的に準備をしていきましょう、とお医者さんもおっしゃって、退院できる日、おうちに帰ってこれる日が視野に入ってきた、と嬉しく思った矢先の旅立ちでした。

ふっと、安心させてもらって、そして「だいじょうぶだ、きっと」とこちらが思えた、そのタイミングで旅立たれるのは、以前も経験があります。どうしてなんだろう、と不思議に思いつつ、当然だと感じている自分もいます。。。

お父さん、まだ歩いている途中かな。景色や風を楽しんでいるといいな。長いあいだしんどかった体が、自由になって、颯爽と歩いているところかな。。。唄もうたっているかな。。。

相方は小さいころから、お父さんに山歩きに連れて行ってもらっていて、だから今でも野山を歩くのがこんなに好きでいてくれています。異文化の捉え方や、多様性や、平和に対する相方の感受性や視点も、お父さんゆずりなところをたくさん感じます。この世界の一角で、派手に目立ちはちなくても、ひとかたならぬ仕事を成し遂げた方だったことを、思っています。

お正月にパズルをたくさん出してきてくださったり、スクラブルを一緒にしたり、言葉や発音について談義をしたりも。。。楽しかったです。今までのようにはお会いできなくなると思うと、寂しいです。でも、苦しまずに穏やかに旅立てたことは、ほんとうに、よかった。。。

20170115_164103 数日前に、夕方ひとりで浜へ行ったとき、海に沈む金色の太陽と富士山がとてもきれいで、そのときに、病院にいるお父さんと、そのお父さんを毎日お見舞いに通っているお母さんに、これをお見せしたいな、と思って、そしたらなぜかわからないけど、涙がこみ上げました。

そのときは、様態も落ち着いていて、肝臓の値も上向いたと聞いていたし、希望をたくさん、わたしは持っていた時だったから、なんで涙?と自分でもわけわからなく思ったくらいでした。

でも夕日は知っていたのかな?富士山は、知っていたのかな。。太陽が沈む直前の輝きが、ほんとうに澄んでいて美しいことを。

天のくにで、どうぞ、すこやかにおられますように。

posted by な at 23:52| Comment(2) | ひと であること

2016年09月28日

グリーンバスケットの1年後と、心身の輪郭

20160928_125142 1年前の今日、編んだ籠のことを、フェイスブックが思い出させてくれました。はっとして、このバスケットの1年後の状態をチェックしてみた。グリーン(生の状態)のつるで編んだので、乾燥したらどうなるか経過をみないとと思ってたので、ちょうどよいリマインダーでした。(フェイスブックは定期的にあまり見なくなるけど、見ると、ときどき便利だなって思う……)。

1年前に書いてた記録→「帰宅してから、昼間とちゅうまで編んだかごの仕上げ作業。土曜日に海岸林のお手入れボランティアで切った蔓を、少しもらってきたので、それらがグリーンなうちに編んでみた。カラスウリ、クズ、ヤブガラシ、ヤマイモなどいろんな植物の蔓がまぜこぜ。耐久性は不明なので、これから検証していくです。乾くとどうなるかな。。。」

思えば、このバスケットを編むきっかけの一部には、ヤブガラシという植物とのご縁があって。ヤブガラシのおかげで自然再生士の矢野さんに会いに行くことができて、うれしいことが連なったのでした。ご縁をとりもってくれたなかに、このバスケットもいたのだなあ。。と思うと感慨深いです。

このバスケット、陳皮(みかんの皮を乾かしたスパイス)をカラカラに乾かすための入れ物として、ある程度乾いた後のみかんの皮をまとめて入れて、日当たりのいいとこにずっと置いていました。

20160928_112207 中身を出してみると、バスケットそのものは、うんと軽くて、編んだ当初よりももちろんカラカラ、すかすかになっているけど、入れ物としての用途はちゃんと果たせていて。編んだのがほぐれてくるかな?と思ったけど、細いつるが1本はずれた以外はそうでもなく、ヤワに見えて、そうでもなく。。。ということで、生の蔓でもほどほどに使えるものが編めるみたいだ、とわかりました。20160928_121921

さて。今年は海岸林ボランティアにも行きそびれていて(汗)、でも手元には半年以上乾かしてある蔓ものがすこしばかりあるので、乾いた蔓を湯戻しして編む、というのを試みにやってみたい気がしてきました。乾いてもスカスカにならない籠が編めるだろか。

いろいろぼんやりするばかりのここしばらくだったので、気持ちが少し、手仕事のほうに動いたのがうれしい。。昨日、久しぶりに相方にゆっくり話を聞いてもらえたおかげ、と思えています。ぼんやりするばかりのなかに、はっきりしたものがちょっと見えてきたというか。

なにか、やはり外のものや人と触れることで、自分の心身の輪郭がはっきりするっていうことはあるんだな、と改めて思いました。ひとりであれこれ考えているときは、思考が霧のようにぼんやりしていて。まるで自分の考えではないかのような、どうも自分の考えができなくなっているかのような感覚がここしばらく続いていました。

外からの情報をいっぱい心身に入れるばかりで、自分がしたかったことまで思い出せなくなっていたようでした。

20160928_125420 昨晩は久々につくろいものもはかどりました。(相方はくつしたの片っぽの足の決まった場所に穴を開け続けるので、わたしも繕い続ける……)。

* * *

あ。籠編み話のついでに。3カ月くらい前に、籠編みについて読んだ本が、とてもよかったことを思い出しました。

20160722_121003 関島寿子さんの『バスケタリーの定式』と『自然を編む』です。どちらの本も、ノウハウではない、ものづくりへの心的態度に対する指針のようなものが満ちていて、そこにとても心が満たされました。

子ども向けに書かれている『自然を編む』のほうも、とてもクリアーに、「自分で考えて、観察して、工夫して、やってみる」ということに重点が置かれていて。「これはこのようなやり方でするのです」というメッセージではなくて、素材を見つけるところから、編んでいくところまで、プロセスを体験するなかで、「自分の心身で発見し続けていってほしい」という願いのようなものが、感じられる本でした。

もちろん、そういうことを踏まえたうえで、具体的な編み方もちゃんと教えてくれる本です。

20160718_145549 ずっと編んでみたいと思っていた、カンボジアのおみやげの胡椒が入っていた、砂糖ヤシの葉を編んだ小さな入れ物。これをお手本に、関島さんの本を見つつ、紙帯で試し編みしたことがありました。

なるほど、こうなってるのか!と納得。いい帯状の素材を見つけて、そのうち本編みをしたいな。

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posted by な at 13:11| Comment(0) | ひと であること