2008年08月30日

記憶

昨日のことです、朝、お出かけの道すがら、電車の中でふいに、11年前に職場で亡くした同僚のことを、思い出しました。

そのときの職場がどんなに過酷だったか(自分にとって、主観的に)。

同僚の死が、どれだけ自分の人生のルート変更に影響をしたか。

そのときの職場で一緒だった人のうちもう3人が他界していて、同僚の死に濃く関わっていた人も、もうこの世にいないこと。

そうやってじゅんぐりに思い返していて、

この過去のできごとの自分の記憶が、「そのできごとを経てこれこれこういうふうになりました」という、なかば固定された「自分史の一展開」になっていることに、気づきました。

単純に図式化することで、扱いやすいハンディな記憶になっていた。いつでも簡単に取り出して「これが理由です」と言えるできごととして。

そのできごとのまわりにあった、あわやいもの、言葉にしにくいもの、矛盾していて整理のつかないいろんな気持ちは、どこかに行ってしまって。

記憶っていうのは、こうやって、ツツジの植え込みみたいに、こざっぱりと刈り込まれていくものなのかな。。。

と、そんなこんなを思い巡らしていたら、

同僚の死に濃く関わっていた(と私が思っている)人について、なにか否定的な気持ちをもったままだった自分に、気づきました。

彼には才能があって、尊敬していた。というのが、「刈り込まれた」記憶の中での位置づけでした。

酔わないと、思っていることを口にできないような、口にできたとしてもどこか表現がずれちゃうような、シャイで不器用な人だったから、とわたしはいつも記憶の中の彼を、かばっていた。

でも、許せないと思っていたところがあったようでした。ほとんどかすかなレベルで。

そのことに気づいた昨日、電車の中で、わたしは、これまで思い至ることのなかった彼の想いを想像して(「ひょっとしてあの人にとっては、こういうことだったんじゃないか」と)、そうしたら、なんだか泣けてきました。

目に見えない小さいわだかまりだった「許せない気持ち」がそこで、溶解したようでした。

* * *

長い年月を注いで彼がやっていたことは、この時代や前の時代の「記憶」へのアクセスルート作りでした。

記録ではなくて、記憶。しかも個人レベルのものではなくて、社会的なもの。

彼は「写真編集者」として、その仕事に取り組んでいました。

記録と記憶。

彼がこだわったのは、記憶のほうでした。

生きて動いていく、有機的なもの。

posted by な at 23:04| Comment(0) | むかし

2006年11月11日

白雨詩社

ずっと前、仕事の請求書を出そうとしたときに先方から「個人名ではないほうがいいのですが」と言われたことがあって、そのときに、翻訳屋としての屋号を「白雨詩社」としました。

それというのも、若くして天に召されたひいおじいさんが、白雨詩社という看板を出して、ちょっと英語を教えたり翻訳をしたりしていたことがあったらしいことを知ったからでした。

ひいおじいさんは、詩や俳句を愛した人だったようで、郵便局につとめていたのですが、お金はほとんど全部本につぎ込んでいたとか。着るものも夏の着物と冬の着物を1枚ずつ持っていただけで、いつも同じものを着ているのを見かねて人が着物をくれたときも、それを売って本を買ったとかいう話がありました。

死後、彼の友人の方たちが遺稿を自費出版(慈悲出版?)してくれていて、その本を、わたしは、一人娘にあたるおばあちゃんからもらいました。おばあちゃんも、もう他界しています。

本は「悲しき国」というタイトルで、大正11年10月にまとめらたもの。「自由討究社蔵版」と書いてあって、装丁はシンプルだけれど、背表紙に、灯りのともったロウソクと星をモチーフにした、自由討究社のロゴらしきものがエンボスされています。

今日、ひさしぶりに、この本を開いてみたとき、最初に目にとまったのは、こんな句でした。

皿にもりし菓子の七色七色の中に黄なるはレモンの香あり

最近、ひいおじいさんのことや、あの時代の感触について、なんとなく考えています。

posted by な at 14:18| Comment(2) | TrackBack(0) | むかし