年末年始は、〆切仕事、家事、家族のことでいっぱいで。それ以外の時間は疲れ果てて寝るか、泣くかで。。やっと今日になって、自分の時間が来た。何日ぶりかで、テレビの音やおしゃべりのないところで、ひとりで過ごせる、自由時間。耳が、すごく疲れていたんだと、気づきました。
思い返すとたぶん、12月初めから、ちょっと神経をやられてたもよう。
22日にシャマン・ラポガンさんの鉄犬ヘテロトピア文学賞の授賞式に行ったあと、近年体験したことのなかった「寄る辺なさ」を感じたこと。
ラポガンさんの文学がどれだけ中国語圏の人たちの無理解と無視にあってきたのかを初めてリアルに感じたあの夜。翌朝、ラポガンさんの「受賞の辞」という文章の中の「島嶼と海洋は、もともとわが民族の”国家”であり、風、雲、雨、陽光、波、星空、生物、植物などは私たちの教育者であり、」というところを読んで発作のように涙が出てきたこと。
わたしは自分の組成が何なのかいまだによくわかってないけど、嗚咽が勝手に起こるとき、何かを探り当てた感触は確かにあって、そちらのほうが一層(one layerという意味の)深いところにある事実なんだろうといつも想像する。
昨日海を見たら、ようやくちょっと、ひと心地がした。海はやさしい、と思った。ラポガンさんのお母さんは、海に入ってなかった頃のラポガンさんのことを「お前はずっと陸に吹く風にいじめられている」と言っていたそうだけど、これ、やけにリアルなフレーズ。。
年末から、十数年来なかった肩こりで身体が日増しにがちがちになっていくので、なんとか自分の身体と向き合ってこうと毎日試みてたけど、なにもまともな成果も出ず、ただ耐えるしかなかった。身体はほんとうに正直だから、わたしがどんな声をかけるか、どんな態度をとるかで、応答の質はまったく変わってくるのだけど、今回はほんとうに、何を言っても思っても何も起こらなかった。固く閉じたまま。年末に知った、ある人の性暴力のニュースの影響も大きかったかもしれなくて、昔の記憶が芋づる式に次々に浮上して、自衛するには閉ざすしかないのだ、安心できる場などないのだ、という想いに身体が憑りつかれたみたいだった。
昨夜はとうとう「これは身体が文字通り悲鳴を上げているんだな」と思った。くたびれ果てて服をきたまま布団にもぐりこんだ。それで今身体に起きていることすべてに「You have every reason to be this way」とだけ言って、その後はそれ以上の言葉を重ねず、ただここにいた。そしたら外で吹く風の、親しみのある音がして、家の中のベッドの上にいるのに外にいるみたいな気持ちが少しして。それから、なぜかトイレットペーパーの筒のようなもの(でも筒の壁は厚さ4センチくらいある)を持って覗き込むような映像が浮かんだのでそれをただ見たら、ついに身体からの応答があった。。身体が勝手に動いて緩みだした。
映像は瞬時にどんどん移り変わっていった。。草花や木々がうっそうと黒くびっしりとしげる中にあざやかなピンクやオレンジの花のようなものがそここに浮かんでいる図。それが最初で、なんだろこれ、と思ったとたんにまた次の映像になって、そんなふうにどんどん続いていった。まったくなんの意味もわからない。連想力だけは高いらしいわたしでも、なんの連想も意味も関連性も見つけられない映像の羅列が続くのを、価値判断やら意味判断やらしようとするのを全部放棄してただ見てた。まったく意味をなさないけど、映像を止めようとしないようにした。身体はどんどん勝手に動いて必要なプロセスを踏んでいるようだったので。上唇の裏側がびよーんと伸びをするように伸びたり、右の肩から腕までが遠山の金さんが決め台詞を言う直前に着物をはだけるような感じで外へ向かってどどーんと出て行ったり、両足がまるで手になったかのようにお互いをこすりあわせてさすりあったり足首まわりをさすったり、頭の中の奥のほうで「クックックッ」と規則的な間隔で極小のクリック音が鳴ったり、右腕が宙に上がっていって手首から先がゆっくりと動いて気が指先に満ちるような感じになったり、右ひざが宙に上がってからバタっと落ちたり。
こうやって身体がおのずと動いてくれると、やっと解放が始まった確信が得られて安心した。。。夜中なのに全然眠っていないし、意識は覚めきってるけど、「眠らなくちゃ」という焦りはまったくなく。この自然運動さえ起きていれば、意識は眠れてなくても、明日には身体がぐんと休まって自分の状態もよくなっていると経験から知っているので、となりの相方の寝息やときどき始まるいびきをききながら、ただ動いていく映像と身体を体験しつづけた。。。
ぼんやりと、昨夜読んだ、野口裕之さん(野口晴哉さんの息子さん)の文章の中の「我を捨てて迎え入れる物は<自然>であり」というところを思い出してた。
野口さんの「生きることと死ぬこと―日本の自壊―」という2003年の文章は、久しぶりに心に迫ってきた文章だった。。近代の日本がとった「欧化啓蒙政策」を見ていったもの。筆頭で例に上がっていたのが、ヤマザクラがソメイヨシノにとってかわられたこと。そして木造建築文化が、建築基準法によって破壊された経緯(木材を「干す」のと「乾燥させる」のの大きな違いも指摘されてた。彼は身体教育の専門家のはずなのになんでこんなに建築関係に詳しいんだろう?)。そこから近代学校教育の理知主義・客観主義偏向を語っておられて。「文化は道理の通らぬ領域」「人生が道理の通らぬ世界と共存していることを指すような啓蒙もある筈である」と語りつつ、「客観主義」についてはこんなふうにおっしゃってた↓。
物事に対して或る距離を措き、(この距離感こそが近代知の極意らしいが)、感覚経験の熱性から免れようとする。自らに発生した感覚に対してすら、絶えず牽制し続ける保身術の習得は近代人必須の教養である。佳いと言わずに悪くないと呟くことで自らを冷却する。自失する程の感動も情熱も永久に生まぬ冷静さこそ客観主義の到達する境地であろう。こうして客観的理知主義は、自らの人生の当事者にすらなろうとしないのである。
この奇怪な人生に対する態度が、日本の近代精神として定着し得たのは<即天去私>や<無我>という伝統的な精神を曲解した結果であると思われる。伝統的に<自我>は確かに煩悩の一つであったが、我を捨てて迎え入れる物は<自然>であり、自然の意に身を委ねる道を日本人は求め続けたのである。
対して客観主義は、我が身を卑少として何を迎え入れようとしたのか。正当性をもつ第三者とは何者のことであるのか。
客観主義とは、つまるところ、多数と権威を正当な尺度とするのである。大衆の理知である常識と国家社会に認められている権威あるものに自らの思考の基準を求める。客観主義が自己を捨てて迎え入れるものは国家と社会であり、こうして自らの知性を国家の歯車の中に組み込もうとするのである。キルケゴールはここで呟く、近代にあっては<ひとり情熱だけが異教徒である>と。
国家。ラポガンさんは中国でも台湾でもなく、「島嶼と海洋」が自分たちの”国家”だとおっしゃってた。そこに立脚することができる、そのためには「文化を生きる」ことなんだと、そう示してくださってるように思えてる。
いっとき島を離れて、いったんはわすれてしまっていた「うた」を、どうやって取り戻したのか、という質問に対して、ラポガンさんの答えは、夜な夜な海に入って、素潜り漁の練習をした、というお話だった。1年目、2年目とだんだん深く潜れるようになって、3年目には10メートル、4年目には30メートル潜れるようになって、そしてやっと両親に、魚を取れる人、海の仲間として、認められた、こうして自分は自信を取り戻せた、と。
授賞式で、受賞のあいさつの最初にいきなりうたいだしてくださったラポガンさん。うたによって受け継がれていく文化では、言葉は紙でなくて、身体に宿ってる。
受け応えの一つ一つ、ラポガンさんの言葉がでてきている場所が、すごく具体的であること、心に残っていて。前回お会いした時も、そうだったんだけど、むしろ言葉に身体が宿っているというか、みしっと気が満ちているというか。それを東京の真ん中で聞くと、なおそうだった。。