2019年09月07日

なぞの旅・2019

IMG_9472.JPG今年も無事に、相方の早めの誕生日祝いのなぞの旅、行ってこれました 行き先を告げない旅。

電車で東京駅に出て、東京駅からは高速バスに。水戸行きに乗ると、「千葉か、長野かと思ってたー」と相方。「予想外度はどのくらい?」と聞いたけど「なるべくなんにも考えないようにしてたから」と答えを濁される。

水戸は駅前すぐにとても感じのいい川が流れてた。両川岸ははるか向こうまでずっと草がふさふさしていて、でもぼうぼうではなくて。駅ビルもどどーんと大きいのに不思議とうるさい感じがなく。。なんか気が澄んでいる町だなーと思った。

水戸駅近くでランチを食べに、個人経営のお店に入りました。サービスでホタテ入りの茶碗蒸しとお味噌汁が付いてきて、さっそくおめでたかった。。そこのおかみさん、我々のキャンプ道具を見て「キャンプはどこへ行かれるんですか?」と聞くので、「すみません、実は内緒の旅をしてるので言えないんです、お教えしたいんですけど。。。」というおかしな返答をするはめに。

おかみさんはでも「いいですね、そういうのも!」とにこやかにおっしゃってくださり、どうぞお気をつけて、と送り出してくださった。。

IMG_9414.JPGそして水戸駅から今度はローカル線ホームへ。2両編成の大洗鹿島線。赤いかわいい電車。相方はこういう電車がどうも好きらしく、機嫌がよさそうでした。

終点大洗で降りて、海辺のキャンプ場へ。ここは「大洗海の大学」、別名Adventure Navigation Crew of Oarai略してANCO(ちなみに大洗の名物はあんこう鍋)というNPOが運営しているキャンプ場で、サイトから海が見えるし、徒歩圏内に温泉施設があるしスタッフのみなさんは感じよい人ばかり。

IMG_9480.JPG設営を済ませて浜へ散歩。。。そのまま自動車道沿いの松林の中の小道を歩いて、焚火のたきつけ用に松ぼっくりやら小枝やらを拾い集めながら、茨城でコーヒーといえばー、な、サザコーヒーへ。将軍珈琲と将軍珈琲味のソフトクリームをいただきつつ日記タイムに突入しました(相方は、日記を書くのがとても好きな人なので、日記を書く時間は必ず旅のあいだに確保する必要があり。。)。

IMG_9425.JPGIMG_9428.JPGさんざんゆっくりして、薄暗くなるまで日記を書いてから、虫の大合唱を聞きつつ歩いてキャンプ場へ戻る道すがら、太古の海水を組み上げているという温泉施設に寄って、露天風呂でぼやーんタイム。それからサイトにもどって、暗闇の中、焚火料理を開始しました。相方には玉ねぎをスライスしてもらったり、じゃがいもに切れ目を入れてもらったり。闇鍋状態で調理して、無事ハッセルバックポテトとジェノベーゼのお米麺パスタ、ピーマンのホイル焼き、即席スープをつくって、暗がりのなか食しました。喜んでもらえた。。!

薪がだいたい燃え尽きるまで、のんびりして就寝。とてもきれいに、不規則に「しゃららん、しゃららん」とうたう虫がいて、うっとり聞き入りました。

IMG_9459.JPGIMG_9455.JPG翌朝は、起きぬけに浜へ散歩して、帰ってきてからまた焚火料理。浜で拾ってきた流木に生地をまきつけて、焚火で「へびパン」焼きました。アルミホイルの即席フライパンでパンケーキ型にも焼いてみた。へびパンは相方は初めてだったらしかって、楽しんで焼いてくれました。

ゆるっと撤収したあとは、お昼までキャンプ場周辺でのんびり過ごしてランチを食べてから鹿島神宮駅へ。そこで降りて、駅前のロッカーへ。ここで相方に「明日の着替えだけ手荷物にして後はロッカーに入れてください」と言ったら、相方はびっくりして、今回ではこれが一番びっくりだったよー、と。

キャンプ道具を全部ロッカーに入れて身軽になって、まず駅近くの喫茶店へ向かう。途中でサッカー日本代表のユニフォームを着ている男女とすれ違い、「あれ、今日の代表戦って、鹿島なのかな?」と私が言うと、相方は今日が代表戦ということはすでに知っていて、お店につくなり今回招集されてる選手は誰かをスマホで調べてくれる。。店内は鹿島アントラーズにちなんだものがわんさかさ。わたしは少し熱中症ぽい症状が出てやばくなりかけてたので、かき氷に救われつつ、日記タイム。

そのあとまた大洗鹿島線に乗り込みました。相方は日本代表のユニフォームを着た人がいっぱい乗り込んできているのを見て、「鹿島で代表戦って初めてなんじゃない?」と。

「時間あるし、せっかくだからちょっと降りてスタジアム前まで行ってみる?」と私が言うと、「そういうこと、前もしたことあるんだ。代表戦で。券持ってないのにスタジアムの前まで行ってね」と相方。そのときはダフ屋も出てたそうだけど買わず、スタジアムそばの飲食店のテレビ画面で観戦したとのこと。。。

「今日、当日券ってあるのかな?」(相方)
「どうかね?もしあったら、見たい?」(私)
「見たい気もする」(相方)
「そうかー、森で鳥を見るのとサッカー観戦なら、サッカーのほうがよかった?」(私)

「森もいいよね」と言いつつ、今日のスタメンはどんな感じかなどをスマホで調べる相方。「え、久保も出るの、なら見たいかも」と私も言って、それじゃまあ、時間もあるから、ちょっと前まで行くだけ行ってみようか、と降りてみた。

スタジアム前は試合開始2時間以上前だというのににぎわっていて、対戦相手のパラグアイのフードの屋台なんかも出ていて。雰囲気を味わいつつ、少し歩いていくと目の前に「当日券発売所」のでっかい文字。「券あるのかな?あるとしたらどのくらいの席かね?」と窓口の前まで行ったところで、ポッケからチケット2枚を出して「実は、すでにありますー」と見せた。相方は「おお〜〜〜〜」と低い、長い声を上げた。。。なんという地味なリアクション。

耳どしまな相方は、ここはスタグル(スタジアムグルメ)がおいしくて有名なんだよ、といそいそとフードのブースの列にならび。。。おゆうはんをゲットして席に着きました。

「代表戦、生で見るの、初めてだよ〜、こんなに早くに試合前からスアジアム入りするの、初めてだよ〜」と言いつつ、早いおゆうはんを食べつつ、選手がピッチに出てきてひとしきりウォームアップをするのを双眼鏡(鳥を見る名目で持ってきていた)で眺めて。そして試合を観ました。カシスタだけあって、大迫への拍手が特に大きかった。。IMG_9494.JPG

というわけで今回の謎の旅、心配してた雨に降られず、よかったです。。。!

なんかひさびさにがっつりすべてから離れて骨休めできました。。相方もリフレッシュできたー、と。

しかし、謎の旅は行き先を言わずに黙っておくのは大変じゃないけど、行き先がばれないように嘘をつくっていうのは疲れるんだなー、とは学んだ。。ほんととは違うことをほんとのように装うのは、なかなかエネルギーがいるもんなんですね。役者さんとかすごいね。

このあと、もう何も謎にしとかなくてよくなった、旅の最終日に相方にも私にも想定外のサプライズがあったのだけど、すでに大変長いのでここらへんで。。。
posted by な at 15:33| Comment(0) |

2019年05月29日

カササギ、鳴いた

Img_8651 Img_8698 Img_8699   ソウルへアレクサンダーテクニークの勉強に行ってきました。すてきな人たちとご一緒に学べて、そして個人的にぐっとくることがたくさんあって。。。本当にうれしかったです。学びについては、言葉にするのはまだ時間がかかりそうで、、ゆっくり消化を待つとします。。上の写真はお世話になった韓屋スタイルのゲストハウス。最高に居心地がよかった!

勉強とば別に、短い滞在だけどもしかして会えたら嬉しいな、と思ってた2人の人にも会えてしまって、ほんとうにおどろきでした。お時間つくってくださったこと、うれしかったです。

2人のうちのおひとりは、10年前に、ワークショップに出るために1人でソウルへ行ったときに川べりで偶然知り合った(チョ)さんで、お互いの言葉が話せず共通語はほんのわずかの中国語、という状態で、指差し会話帳と筆談で話をして、仲良くなった人でした。

メールと住所を交換したけど、メールはなぜか不通で、手紙は書いたけど返事がなく、そのままになってたので、もう忘れられているだろうと思ったのだけど、今回べつのメールアカウントから、だめもとでメールを出してみたら、その2日後に、泊まっているゲストハウスに電話がきたのでした。

なんせ10年ぶりだし、google翻訳文を組み合わせたあやしい韓国語と中国語で書いたメールは、英語の話せる韓国人の友に見てもらったら「ふふっ」と笑われ、「SPAMメールみたい?」ときいたら「うん」と言われ。。。こりゃだめだろな、と思っていたので、電話が来たときは心底びっくりしました。

 その日の午後に会うことになって。電話をとりついでくださった(電話口で通訳役もしてくださった)ゲストハウスのオーナーさんが、ここで会うといいよ、と近所のカフェを教えてくださり、そこへ来ていただくことになりました。

前回お会いしたときは、伝統的なものや古いものが好きな奥ゆかしい人という印象だったのが(会社勤めのかたわらインサドンにギャラリーを持ってもいらして、10年前に連れて行ってくださった行きつけのお店は、後でネットで調べたら店主が書を嗜む詩人で、詩人や舞踊家が常連客らしかった)、今は定年退職してネットショップをやりながらコーヒー豆の焙煎を教えてまわっているとのことで、なんだかすっかり軽やかな雰囲気になってらっしゃいました。びっくりした。娘さんは伝統楽器の大笒(テグム)という横笛のプロ奏者で、国楽管弦楽団に所属しているとのことで、奥ゆかしさは娘さんに受け継がれたみたい。。

Img_8688ゲストハウスのオーナーさんが教えてくれたカフェは、彼のお友達の陶芸作家さんがやってる工房兼カフェで、奥のお座敷に通してくださったのだけど、なんと猫がいる部屋でした。とてものほほんとした猫にゃんで、われわれが筆談しているあいだ、部屋の隅で寝てたり我々のまわりをうろうろしたり、ほかのお客さんにブラシで逆毛を立てられりしていた。。。

猫運までよくて、うれしかったな。(そういえば、ゲストハウス近くのコンビニの店先にものらっぽい猫がいた。クリスティーヌという名前の猫!呼ぶと「はあーい」と言って走りながら近づいてくる猫にゃんで、かわいすぎた。。。コンビニ店員さんがかわいがって、ごはんをあげていました)。

Img_8701 毎朝、アレクサンダーのスタジオへ行くとき、宿を出たすぐのところでいつもカササギとも会っていました。大きなはっきりした声で鳴く鳥。ここらへんに住んでいるらしかった。(チョ)さんとお会いした後、別れ際にもまたこの鳥が来たので、鳥の名前を韓国語でたずねたら「カチ」だと教えてくれました。

指差し会話帳の本で、後でこの鳥のところを見たら、「韓国を代表する鳥。朝、この鳥が鳴くと、なつかしい客人がやって来ると言われる」と書いてあって、びっくりした。宿のそば以外のところではこの鳥に会わなかったし、実際、宿のそばまで(チョ)さんが来てくださったわけなので。。。

posted by な at 00:00| Comment(0) |

2019年02月27日

ソローの小屋

Img_7505 ボストンへ、アレクサンダーテクニークの勉強へ行くことにしたこの冬。出発前にふいっと、ボストンエリアにグリーンウッドワーカーがいたら会いたいな、と思ってちょっと探してみたら、ボストン郊外のコンコードというところにおひとり、いらした。その方がウォールデン湖畔沿いにソローのお話の絵札を設置した、という話を読んで、初めてソローが「森の生活」を送ったウォールデン湖がボストンからすぐだと知りました。

Img_7508 そんなわけで、クラスの合間の休みの日に、ウォールデン湖を訪ねました。ソローが実際に小屋を建てた場所まで、湖畔のトレールを歩きました。オークの枯葉がふかふかした道。ところどころ凍った雪もありりつ つ。湖も凍っててきれいだった。

Img_7501 小屋の場所は、木々に包まれ ていて、その間から湖が望めるところで、住み心 地よさそうだった。測量士でもあったソローが見立てただけあったもよう。


S__11894793_1 別の場所に、ソローの小屋のレプリカが建ててあって、訪ねた日は小屋の暖炉に火を入れてインタープリター(レンジャー)の女性がお話を聞かせてくださる日だと聞いて楽しみに行ったんだけど、強風の天気予報を受けて、誰も来ないだろうとキャンセルになってた。。でも中に入れてもらえるか聞いてみたら、もちろん、と鍵を開けてくださって、お話も聞かせてくれました。こんな強風の日に来るなんて勇気あるね!と言われた(あとでウーバーで電車の駅まで送ってくれたおじさんによると、強風で木が倒れて道が1時間近く封鎖になった場所が二箇所もあったというから、やばい風のレベルだったらしい。。)

Img_7483 Img_7474_1 Img_7475_1小屋の中は、ベッド(ベッド下に物入れ)、デスク、調理のできる暖炉。あと椅子が3脚(1脚はひとりの時間のため、2脚目は友情のため、3脚目は社交のためと、本人談)。

小屋の部材は、松の樹何本かを切り出したほかは、近くで鉄道の敷設に従事していたアイルランド移民の人たちが建ててた小屋の廃材を譲り受けてリサイクルしたらしかった。

椅子が、どれもとても小さめで座面がすごく低かったのが印象的でした。アメリカにくると家具やドアや調度品や食器がみんな大きくて、いつも慣れるまで巨人の国に来たみたいに感じるけど、ソローの椅子はとても小さくてちょうどマイサイズ。なので背丈の低い人だったんですか?ときいたら、私と変わらないくらいでした。

この小屋で彼が暮らしたのは2年と2ヶ月と2日。その間、町に出て人に会ったり測量の仕事をしたり、実家の鉛筆工場を手伝ったりもして、ずっとこの湖畔にひっこんで思索にふけってばかりいたわけではなかったし、ここで暮らしてたあいだに、奴隷制度に反対して税金の不払いをして、牢屋に入れられたりもしたのだそうです。このときのことをソローが書いた評論が市民的不服従(良心的不服従)という概念の始まりになって、後にマーティンルーサーキングやガンジーのインスピレーションになっていったんだそうです。

彼の信念の貫きぶりは若い時からぶれてなかったみたいで、ハーバード大学を出て地元の学校で教師の職を得たけど、児童のしつけの仕方をめぐる意見の食い違いからわすが2週間で辞任。のちに兄弟と一緒に自分で学校をつくっています。

 ソローが自然、野生に親しんで、つぶさに観察していったところ、野生の中にこそ世界が保たれていると考えてたところは、地球上の生き物の一員として共感するし、どうじに良心的不服従を貫いた、社会の一員としてのあり方もぐっとくる。2つのバランスがあるところ。

彼は生存中は、今のように広く知られることはなくて、ウォールデン湖のある彼の地元コンコードでのみ、名前の知られている人だったそうです。物書きを自分の仕事ととらえていたけど、それで生計を立てることなく、さまざまな仕事をしつつ、生涯独身で、実家暮らしの時期も長かったとのことで、それは当時の男子のあり方として、異例だったそう。レンジャーのおばさんは、ウォールデン湖畔にソローが暮らしてたあいだ、衣類の洗濯はどうしていたか問題というのがあって、どうも実家のお母さんに洗濯はしてもらっていたようだと言っていました。

Img_7469  湖畔の小屋を建てたのも、執筆をするために、実家暮らしでは得にくかった静けさとプライバシーを求めてのことだったらしかった。シンプルに暮らすという実験であると同時に、自分のリアルなニーズを満たすためでもあったんだな。。

posted by な at 00:00| Comment(0) |