2015年09月27日

少しずつ

20150922_153101 栗の渋皮煮、初めてつくってみた。前に相方のお母さんがつくってくれたのが、おいしかったので。重曹入れて煮ると、濃い色になってびっくり。楽しくつくりました。

Dsc00561_3 この栗は、岐阜への旅のとちゅう、郡上八幡の神社の朝市で売っていた栗を衝動買いしたもの。重たいのにリュックに入れて旅の間しょって歩き、夜行バスで新宿に帰りついた日には、栗入りリュックをしょったまま、また国会前デモへ向かったのでした。。。そんなわけで、わたしとしばし共に歩んでくれた栗であります。

安保関連法案のことでは、国会前に通ったり、国会中継を連日深夜まで見守ったり、ぐっと力を込めて過ごす日々がしばし続きました。改めて、今まで以上に、地に足のついた希望を持って、あきらめずに、ひとりの人間として声をあげていく基礎体力と基礎知力が、自分のまわりのひとたちに、そして自分自身にも、ついたように感じています。目先の結果や報道の内容に一喜一憂するところには、もういないのだなあ、と。

一気にガラリと変わるとかでなく、こうやって少しずつ、経験を経てレベルアップしていくこと、尊いな、と思う。

Dsc00548 とはいえ、直後の連休はやっぱり寝不足でヘロヘロになってしまって、すっかりリハビリデイズとなりました。ともだちが会いにきてくれたおかげで、ほぼ毎日海に親しんで過ごした。

遠方から車で来てくれた(み)ちゃんと、浜で待ち合わせをして、お互い遅くなって、同じタイミングで到着。夕日は見逃したけど、明るい三日月を眺めて、波に映る月の道を眺めたところから。。。

翌日はまた夕焼けアワーに、遊びにきてくれた(よ)さんと、(ゆ)ちゃんと浜へ。波打ち際が夕日に金色に光るのを、きれ〜 い!としばし眺めているうちに、(よ)さんが、さささ、と水着に着替えはじめ、あっという間に入水。。。つられてわたしも入ってみたら、海の中のほうが外 より温かいくらい。気持ちよかった。。しかしこの季節にまだ海に入るだなんて、自分史上初でした。。

その翌朝は、「海辺で過ごしたい」という(み)ちゃんと、(ゆ)ちゃんと朝から浜へ。海には入れるかなあどうかなあ、と言いつつ、念の為水着を着て行き、結局また入ってしまった。。波があんまりなくて、ぷかんとあお向けに浮かんで空の雲をながめていると、音も水の中できこえる波音しかしないし、見渡すかぎり空だし、自分の中にわーわーざーざーと続いていたいろんな想いが、しばし、止まった。

海から上がって、太陽と砂のあったかさで体を乾かすために、3人で浜に寝ころんでおやつ食べて過ごして、「お彼岸に海水浴って、人生初だよ!」と笑いころげ。

Dsc00547 そのあと1日おいた次の日には、海外から来日中の(ひ)さんと、また夕焼けを見に浜へ。さすがにこの日はもう水には入らなかったけれど。。。富士山がさきっぽだけ見えていて、きれいかったので、砂浜に腰をおろして、素足を砂のお山のなかにうずめていた。風はすずしかったけど、砂の中のほうはあったかだったな。

* * *

特に休まるのは、しばし、自分の中のいろんな想いが止まるときなんだけど、サウナに入ると、やはりそのようになる。

ちょうど1年前、フィンランドに行ってサウナに入ってからというもの、サウナ、しかもロウリュ(水をかけてジュワーと出る蒸気を浴びるサウナ)が大好きになっていたんだけれど、そのあと、タナカカツキさんの「サ道」という本を読んで、初めてサウナと水風呂を行き来することを覚えました。その圧倒的な気持ちよさといったら。。!思考回路に「強制終了」がかかって、自分がまるごと体だけになるような、ただの生きものになるような感じ。

水風呂は静かにそおーっと入るのがコツ。水の中でじっとしていると、皮膚の周辺に「羽衣」ができあがります。それができあがると、もう水は冷たくなくて、ずうっと入っていられそうなくらいになる。これがほんとうに気持ち良いのです。

水風呂のあと、またサウナに入ると、こんどはサウナがさっきよりまた一段と気持ち良くなり……、サウナ→水風呂→サウナを何回も繰り返していると、もう圧倒的な心地よさ。

20140908_203307そういえば、たまたま滞在したピスパラという町にあったフィンランド最古のサウナでは、水風呂がわりに、みんな外の風に当たっていました。風に当たって涼んでは、またサウナに入る、を何度も繰り返していた。老若男女が皆体にタオル一枚まいた姿で庭先にたむろして、おしゃべりしていた図はある意味衝撃的でした。

あのサウナは、薪であたためていたサウナで、電気やガスとはまた違ってやわらかい温かさでした。北鎌倉の常楽湯も、薪で沸かしたお湯がすごくやわらかかったけど、どうして木を燃やした熱であたためると、ああいうやわらかーいあたたかさになるんだろう?

有機物と無機物の違いかな???

木々のこと、知れば知るほど、もっと知りたくなる。

森で木々とただ一緒にいるのももちろんだけれど、こうして薪になってくれた木々のあたたかさを経験したり、切った木からグリーンウッドワークで椅子やスプーンやいろいろをつくらせてもらう体験をしたり、そういうなかでもっと木々のことを知っていけるように最近は感じています。

20758931824_e375eb2959_m 今回の岐阜行きでは、森の木を切る(間伐する)ことの大切さも、実感したのでした。美並というところで、汗をかきかきレンタサイクルで星宮神社まで走ったのだけど、その地域の、巨大な杉・檜がそびえたつ薄暗い森に、圧倒されました。。。しかも森の神は女性が森に入ることを嫌う、という言い伝えを知ったりもして、すっかり気後れというか、気落ちしてしまったのだけれど、その後、森林アカデミーの裏山で小径木の伐採を体験させてもらって、また全然違う森だなあと体感したのでした。そこの森は、さまざまな樹齢の広葉樹も多い明るい森で、まめに人の手が入っている森。

昨日参加した、湘南海岸林のお手入れボランティアでも、生命力あふれる蔓草たちに敬意を払いつつも、それらがクロマツの木やそのあしもとの広葉樹たちの成長を阻んでしまわないよう、お手入れしていくことが大切なのだと知りました。真っ赤に透き通るかわいい実20150926_111326 をつけた蔓(ヒヨドリジョウゴ)もあったりして、忍びないな、とも感じたけれど。

それにしても、ほんの数時間森に入っただけなのに、海に少し浸かった日と同じくらい全身が心地よくくたびれました。道のついてないもモフモフの森に分け入っていくのは、海に入るのに近いものがあるのかも。

海も、森も、どちらも好きで仕方ありません。。。少しずつ、もっと知り合っていきたいなと思う。

しかし最近ブログを書くと、話が二転三転してしまうな。。。わたしの思考回路がそのようになってきた証拠かな。。さいきんいろんなことがうまく言葉にならない。。

posted by な at 16:54| Comment(0) | ねがいごと

2015年09月03日

はいあん

20150902_154824 暑い夏があまりにも突然終わってしまって、しゅんとしてしまっていました。相方は今年の夏は海で十分に泳げなかったことを嘆いていた。。。

そんなわけで、もう近所の浜の海水浴シーズンは終わったのだけど(監視員さんが常駐してくださる期間はすぎたのだけど)、相方が久々に連休をとった昨日と今日、一瞬だけだけれど、海に入ってきました。

海水浴シーズンが終わったことをきっと喜んでいらっしゃるにちがいないサーファーのみなさんの横で、泳ぐ。。。結構勇気がいるし気を使う。。。もちろん、サーファーに人気のない、波の立ちにくいスポットをねらって入るのだけど。

20150902_155054 今朝は午前の1時間だけ晴れ間になる予報だったので、朝起きて、パジャマから水着に着替えて、朝ご飯前にひと泳ぎ!気持ちよくて、どうして今年は夏のあいだにもっとこれをしなかったんだろう、と思いました。

まあ、今年の夏は暑すぎたってことか。。。

* * *

安保法案のことはひきつづき、がんばりどころで。。。でも先日の国会前を埋め尽くしたデモは、わたしにとって、今までで一番おだやかな気持ちで参加できたデモでした。

20150829_102954 国会へ行くまでの地下鉄の構内の歩道から、外に出た道路から、どこもかしこも、人、人、人。手作りプラカードの人、さりげなく「No War]と書いた小さなバッジをかばんにつけている人、ちびっこと一緒に来ている人。。。いわゆる運動家という感じの人がむしろマイノリティに感じるほど、ふつうの町中のように、世代もさまざまな老若男女が集っていたのでした。

もちろん危機感があるからあの場に自分も足を運び、数の1人になろうとしたわけなのだけど、でも小雨ふる中これだけの人がここで一緒に意思表示をしていることに、ほっとしたというか、なんというか。311後にあった6万人集まった脱原発デモのときも、似た感覚をもったけど、今回はその何倍も。

高校生、大学生のみなさんが特に心強くて。。そしてこの方たちのコールはリズム感もよくて、音楽みたいで、つい踊ってしまいそうになるくらい。この日もやっぱりみんなをひっぱっていたなあ。。

20140701_172853 あべはやめろ、というコールだけは声を合わせられなかったけど(あべさんがやめることで解決することなのかどうか、わたしにはわからないのと、あべさんに伝えたいのは「やめろ」ということでなくて、「平和憲法を活かした外交・国づくりをしてほしいです」ということで。。去年7月につくった写真のプラカードを今回も持参したのでした)、でも「戦争法案今すぐ廃案!」「廃案!」「廃案!」というコールは声を合わせました。

はいあん、はいあん、とみんなでいっていると、だいすきな台湾のシンガー、スミンさんのうたを思い出したりした。

台湾原住民・阿美族のスミンさんのつくるうたには、歌詞に「はいあん、はいやん」がいっぱい出てくる。日本語に訳すなら「えいさーはいさー」みたいな感じのニュアンスの言葉だそうで、阿美族に伝わるうたは元来そのように、特定の意味を持った言葉でなくて、どんな意味も込められる、自由度の高い言葉でうたわれてきたらしい。

スミンさんが「はいあーん」とうたうと、そこには大海原が見えたり、風が通るのが見えたりする。ほんとうにすごいすき。。。生で聞かせていただく機会も数回あったけど、ほんとうにやばいです、あのうたごえは。

中国語の歌詞をつけたうたも発表してはいますが、わたしがいちばんすきなのは、やっぱり「はいあん」がいっぱいでてくる曲たちです。

20150830_152045 そんなわけで、国会前で「はいあん」とうたいつつ、近くにいた家族連れのちびっこたちがかっぱをきてシャボン玉遊びをしてるのを眺めていた今回のデモは、わたしにとってはいつになくおだやかな時間でした。

小雨交じりの空に、シャボン玉、きれいかった。

日弁連(日本中の弁護士さんが加入する、弁護士さんの団体)の会長さんも、あのデモでスピーチをされてましたが、今回の法案で自衛隊が他国軍に提供・輸送できるとしている「弾薬」の定義の中には、法律上は核兵器も化学兵器も入り得る、そういうものになってしまっている、時の政権が解釈次第で乱用できてしまうあいまいさのある法律(政権にとっては自由度のある法律)が成立してしまうことは絶対にいけない、とおっしゃっていました。弁護士さんたちがそうおっしゃってることの意味を、帰り道、考えていました。

このニュースにもなっていますが、中谷防衛相は「ミサイルや手りゅう弾、クラスター弾、劣化ウラン弾も弾薬にあたり、輸送を『法律上排除しない』と説明してきたが、五日の特別委では核兵器も加えた。化学兵器の輸送も条文上は排除されないとし、核兵器を搭載した戦闘機への給油も『法律上は可能』と述べた」とのこと。)

日本の自衛隊が、どこかほかの国(アメリカなど)が参加している戦争に加担していくことには、ほんとうに賛成できません。どんな形であっても。

アメリカやイギリスという国はさまざまな大儀で武力攻撃をするけれど、私の知っているイギリス人、アメリカ人は、「(他国の政府や組織に)人殺しをしてはいけない、と伝えるために、人殺しをするなんてわけわからない」といいます。

国がする意志決定と、国民の考えは一致しないのが常なのかもしれないけれども、でも。

武力は解決にならない。力で言うことをきかせるやり方は、しこりを残してしまう。それは歴史が証明してる。グループ間の対話について、ほんとうにさまざまな洗練されたやり方が今は存在していて、それらをフル活用していくことを世界のリーダーたちが選ぶのだって、今はもうごく現実的になってる。

世界のリーダーたちだけでなくて、わたしたち個人のレベルでも、力で凌駕することを本当に卒業して、相互尊重を基本にしてくことが、これから当たり前になっていくんだろうと、思う。

今は過渡期だから、チャレンジもあると思うけれど。でも、これはぐるりおおきな輪を描いて、もとの場所へとたどりつくようなことなんだと、なんとなくそう思っています。

posted by な at 23:38| Comment(0) | ねがいごと

2015年08月03日

てしごとのスタンス、点検・模索中

20150803_131907 週末から今日はまだ、プチなつやすみが続いています。今朝はすっきり目覚めて、植物にお水をあげて、洗濯をして、キッチンの床掃除をして。しばし「夏休みこども電話相談室」をラジオで聞きつつ、請求書づくりやら、メール返信やらをして、さあこれから、なにしようかな、というふうです。

ここしばらくの、すべてと距離が出てきて自分が消えてくような感じや、全般的な気力の足りなさ、ひきこもりがちな傾向については、プログレスの新月を前にするとそういうふうになるものなのだ、とわかってから、「これからずっとこうだったら」という不安がなくなって、もう少し、ゆだねていられるようになりました。逆説的だけど、じゃっかんやる気も取り戻せたかもしれない?です。

しかし、時間ができたのにもかかわらず、木工に戻る気にならないのは、暑いせいなのか、なんなのか。

つくりかけだったトライポッドスツールは、少し前に、なんとか完成して、一応使えるものになってうれしかったのだけど。。。

あ、最終的にこんなのになりました。

20150726_173201 座面は革は避けたかったので、手元にあるなかで、織目のつまった布や、「引き裂き強度」が強いといわれるタイベックなど、ためしてみたのだけど、この作り方サイトにあるように、座面を脚に直接打ち付ける(ネジで)方法だと、重みがかかったときの負荷にたえきれず、避けてしまいました(私のつくった寸法がフルサイズでなく、ミニサイズだったからか、それとも生木を使ったせいか。。わからないですが)。

仕方なく、手持ちの革を座面にしたら、こんどは革も、ネジを打ったところから裂けてしまい。。。別の方法(脚の上にかぶせて、紐で巻いてとめる)を思いついて、やってみたら、ようやくなんとかなりました(ただ、どのくらい長く使えるかは、まだこれから要検証)。

20150726_173244_2 巻いて、紐でとめるときの、この紐は、織りテープを使うことにして、長いまま、3本の脚を一連なりにしてとめました。こうすると、脚の開きを止めることにも少しは貢献しそうかな、と思って。

20150726_175113 革の上から、前回つくって強度が足りなかった、織物の座面を被せてみました。

20150730_093645 たたむとこんなふう。手にもってくらべてみたら、手持ちのミニ折り畳み椅子(パイプと帆布製)より、ちょっと軽かった。

脚は華奢だけど、木目に沿っているので、柔軟性と強度があるのが気に入っています。

で、この「木目に沿う」ということ。わたしがグリーンウッドワークで特に好きなのは、そこです。

スプーンづくりの講座で教えていただいて、スプーンを一本つくり、帰宅してから、おさらいの目的で、教わった方法でもう2本、スプーンをつくったのだけど、そしてどちらもモノとして、スプーンとしてはまあまあ使いやすく、わりときれいな形にできて、とってもうれしかったのだけど。

20150712_103953 20150712_103947 20150712_103935 そしてそのうち1本は、ウワミズザクラ、という、昔の亀の甲羅占いと縁のある木でつくったので、占いや星読みを専門にしている友達にぜひ使ってもらいたいと思って、プレゼントできて。友達もウワミズザクラのことを知って、そのかわいい白い房状の花の写真も自分で調べて探してきてくれて、この樹とのおつきあいを深めてくれたことが、すごく嬉しかったのだけど。

そう、なんというか、自分がしたいのは、モノとしてある程度完成度のある、使いやすいものをつくるというのも、もちろんなんだけど、もっと強く願うのは、そのモノを通して、木々とのつながりを、ご縁を、深めること、みたいです。

なので、その木々の体をいただいて、削らせてもらうとき、一方的に自分の望みの形を押しあてることは、したくなかったのでした。木目に沿うこと、節を生かすこと、その材がなりたがっている(と感じられる?)形についていくことを、できるかぎり、したい、というか。。。

でもそうしていくと、かなりユニークな形状になって、使いやすさの面でどうよ?となることも確か。わたしの最初のサービングスプーンなぞは、そのいい例です(でもあれはあれでやっぱり、ああしか成りえなかったようにも思ったり。。)。

スプーンづくり講座を教える側になれば、ある程度使えるものを完成してみなさんに持ち帰ってもらって、そのスプーンを実際に使う喜びを体験してもらうことが大事だし、そのためには、型紙もノウハウも、ものすごく役に立つということ、よくわかります。

基本があって、はじめて臨機応変が出てこれるわけですもんね。。。

だからたぶん、講座を受けているときや、家でおさらいしてるときの、わたしの態度が、材に対して自分の意思を「押しあて」すぎてたんだろうと、それだけのことだったんだろうと思う。。。自分は作業が遅いので、皆さんと足並みをそろえるために焦っていた部分もあって。家でやるときは、じっくり時間をかけて、材と交流しつつやることだってできたのに、サクサク作業することにあこがれて、「何時間で1本つくれるかな?」と考えながらやってしまったひとときもあったから(でも最後にはじっくり作業になって、やっぱりそのときはぐぐーと材の中にのめり込んでいったのだけど)。

最終的には、自分自身の基本をどこに置くか、ということなんだろうな。

「途中でやめる」というブランドを立ち上げてリメイク服をつくっている山下陽光さんのやり方が、おもしろいな、どうというのはわからないけど参考になりそうだなー、と思っていました。「途中でやめる」のネットショップのサイトには「想像以上に低クオリティです。」の一言。

いろいろに付加価値を付けることで、値段を下げている。。。

一緒に働いてもらう人は、とりあえず家にきてもらって一緒に呑む。。。

などなど。

木工品も、もっと身近なものになってほしいし、しかも、道具になる以前のその木とのご縁をとりもちたい。この樹は家の中で○○になってくれている樹、と親しく感じられるような樹が1本でも増えたら、嬉しいのだなー。

20150726_175133 ってことで、庭で剪定したセンダンが折り畳みスツールになる、そういう感じの喜びをシェアしていける方法。。。を、ぼおーと考えています。

木と交流しながら作って、道具に成ったあともその木との交流を保てるような。モノとしての完成度ばっちりというよりか、モノとしてもちょっとクセがあって、使う時に個別に気を配ったりしないといけないような。。。??? そういうモノとのおつきあいというのは、どうでしょね?

posted by な at 13:54| Comment(0) | ねがいごと