2017年10月02日

毛糸を編む、かごを編む

ぎりぎり締め切り仕事→人にたくさん会う仕事とつづいで、しばらくぶりに野山で眠りたい欲求がぶわんと来た本日です。でも明日はまたお外仕事なので、しばしこらえて。。。今週末にはうまくいけば、野山寝ができるので、それまでがまん。

政局が気になるし、自分ごとで手一杯になるのはむむむ、と思うけど、意識の視野の中に人間の分量が多くを占めすぎると、やっぱり大変になる。。ヒトは、自分と同じ種なだけあって、情報量が微細でたくさんだから、処理が手一杯になるのだろか。

気がとぎ澄まされていながら深くやすまるのは、野山で眠っているとき。

いつか、人のなかにいても深くやすまるようになれたら、と思うけれど。。

東京に電車で出るときは、いつも向かい合わせの席がある車輛に乗って、向かい合わせ席の窓側の隅っこに座れたら、短い棒針で小物を編んでるこの頃です。少し肌寒くなってきて、また編みたくなってきた。

編み物していると身の回りに結界ができるような感じもなぜかあって、助かっています(でも急停車したりしたときにまわりの人をぶすりとやらないようには、いつも気をつけてます)。

Img_2090 (あ)さんがくださった、遠い島で海藻を食べながら育った羊の毛糸の、この赤に呼ばれたので久々に棒針を出してきたら、同じタイミングで近所ですごい便利グッズに出会って、ごきげんになりました。手袋と帽子の形をした、編み針まとめ用ゴムキャップ。

靴下を編むときにはいつも4〜5本の短い編み針を使うんだけど(この特別な毛糸は靴下にはもったいないのでアンクルウォーマーにしようかなと思ってるけど)、編んでる途中のそれらの編み針を全部まとめて、両端をゴムキャップでとめられると、まとまりもいいし、目が編み針から外れる心配もなくて、移動時にとーても重宝しています。

ドイツ製みたい。Prymというメーカーさん。ドイツとか、北欧、バルト三国とかは、手袋や靴下や帽子といった小物の手編みがさかんなイメージが自分の中にある。こういうグッズがちゃんとあるってラブリー。

* * *

編み物は途中でいったんやめるのがもう上手にできるようになっているから、安心していつでもできてよいのだけど、手仕事の欲求はふいとやってきて、やってくると去りがたいことがしばしばあって、こまります。

こないだはやらなきゃいけないことのまえに、やりたいことをしてみよう実験をしてみたら、やりたいことだけで1日が終わってしまった。。ということがありました。自分、やりたいことやりだすと妙に集中しちゃって止まらなくなるんだった。。と改めて思い知らされた。。

Img_2400 Img_2403 Img_2404 あの日は、すこし前の暴風で倒れちゃったジャスミンの蔓切ったので、バスケットをつくりたくなって、枠をつくったのでした。

編み込むほうの蔓はジャスミンのよこに伸びだしてた野草の蔓をつかったけど、足りなくなって、いったんここで止まったのだけども。。。

Img_2405 Img_2408 Img_2409_2 もひとつミニサイズを作り出して、そちらにはおゆうはんのご飯に入ったトウモロコシの皮を割いて編み込んでみたくなって、そしたらまた止まらなくなって、皮を使い果たすまで一気に。。でも皮も足りなくなった。

それでやっと立ち止まって、1日を振り返って、切ない気持ちに。しごとたくさんあったのに。。いそぎのもあったのに。。。。。 翌日はもうれつな勢いで仕事して、リカバリーしました。

秋はいっそう、いろいろつくりたくなる季節なんだよなーと過去の記録を見てもわかる。。どうしたものかな。途中で休む、に意識的にとりくむべしかな。。
 

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posted by な at 16:50| Comment(0) | 季節のこと

2017年08月03日

それぞれの夏

Img_1828「猫の額庭」のヒメヒマワリの、今年の一番花だった花が咲き終わりました。写真の一番上の茶色く枯れたのがそれ。6月15日に咲いたから、1月半のあいだずっと咲いてたんだ。。猛暑の日も、豪雨の日も、しばらく雨のなかった日々も。なんて強いんだろう。

今は後から咲いてきた5番花以降の花たちが元気に咲いています。リレーのようにしてこうして秋まで咲かせ続けてくれる。

この夏は、「猫の額庭」に水やりを一切してなくて、雨だけでやっていってもらっているのだけど、それでも元気でこうして咲いて、花のたくましさって半端ないです。

冬にはいったん姿を消して、春になると毎年あたらしく地面から出てきて、夏に黄色い花をつける。枯れ姿もかっこいい。わたしがここに越してくるより前からここに生きてきた、先住植物です。

何年も前に、この花にすごくなぐさめてもらったときのことも、毎年思い出します。

+ + +

Kakigori_2 昨日は遠方のともだちが、ひさしぶりにはるばる会いにきてくれて、正当な夏休みみたいな午後を過ごしました。みんなで駅から海まで歩いて、波打ち際を楽しんで(貝の砂もぐりも眺めて)、帰り道に天然氷のかき氷屋さんでふわふわのかき氷を食べました。いちごソースがおいしかった。。。

5歳の(よ)くんも来てくれて、おみやげに(ヨ)さんが持参した紙相撲をかき氷屋さんのテーブルに広げて、みんなでトントンやった。曇天で夕方で入店待ちのお客さんが並んでなかったので、奇跡的にゆっくり遊んだりできました。楽しかったな。。

昨日は台風が遠くに来ているせいで、すでに波がいつもより高くなっていて、残念ながら海水浴は無理だったけど、(よ)くんは波打ち際ではしゃいで走りまわって、ゆうに50メートル分くらいは走ってた。。。小さな体から発せられるエネルギーははちきれんばかりで、見ているだけで爽快でした。にんげんにはこんなにすごいエネルギーがあるんだなあ、と実感した。これはほんとに、すごいことだよ、と思う。

海からかき氷やさんまで歩くあいだも、ただ「歩く」のでなくて、くるくる回りながら歩いたり、盆踊りみたいなのを踊りながら(しかも後ろ向きに)歩いたりする(よ)くんは、実にクリエイティブ。自分全部を注ぎ込んで楽しんでたように見えた。

この5年の年月、彼の育ちのプロセスの相棒となってきた(な)さんも、実にかっこいいなあと思いました。体力のいることだし、特に体調が変動しやすい人には(そうでなくても)大変なときがいっぱいあるだろし。。ほんとに尊いことです。

+ + +

Img_1834 さて、アリたちの夏休みも、すこやかに(?)続いているもよう。今日も3、4匹が窓辺の”別荘”に遊びに来ています。

以下、”別荘”の解説をすると。。。

うちの家は古い木造で、小さい生き物が出入りできるすきまはいっぱいあって、毎年初夏にはアリたちがいっぱいキッチンのはちみつの瓶とかに巡礼しだすのだけど、不思議と今年はキッチンに来なかった。

Img_1751 来ないなーと思ってたら、今年はリビングのほうに、巡礼の道ができあがっていました。窓辺に置いてある、少し前のクリスマスに相方にプレゼントした、白樺の樹皮でつくったおうち。そこの煙突に、いただきもののチュッパチャップスを立ててあったんだけど(煙突から出る煙っぽかったから)、このおうち(特にチュッパチャップス部分)が、今年のアリたちに好評のデスティネーションになりました。

しばらく前まで、富士登山の人たちみたいに、ぞろぞろ列をなして来ていた。窓の縁のところをずーっと行くので、人に踏まれたり家具につぶされたりする心配もないから、静観していたら、だんだんブームが静まっていって、訪問者数が減ってきて、最近は、たまーに、ぽつぽつと、1日に数匹くらい来ています。

そんなに混雑しなくなって、ほどよいお出かけ先になっているもよう。

生き物それぞれにとっての夏の日々。。。セミもようやく元気に鳴き出しているし、いつもこの季節に姿を見せるカナヘビの家族も、健在です。ありがたいことだと感じています。







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posted by な at 16:11| Comment(0) | 季節のこと

2017年06月15日

自然にあること、ほんとうのこと

Img_1066 大家さんとお庭を共有してる南側の窓向こうに、グリーンカーテンが自然と育ってきてくれました。以前はゴーヤで茂らせたり、去年はいただいたフウセンカズラの種から苗を育てて、フウセンカズラカーテンにしたりしたけれど、今年は春になんにもできず。。。夏の暑さが心配と思っていたら、ブドウに似た葉っぱを持つ野草が、おのずと生えてきて、茂ってくれています。

今年は野菜類も、春に新たに種まきをしたりがぜんぜんできなかって、残念に思っていたら、去年の春に種をまいたミニトマトが冬越しして、今また実をつけてくれています。ありがとう。

今もまだ、とてもしんどくなるときがしょっちゅうあって、つらいのだけど、やさしくしてもらっている、ように思います、こういうとき。

そういえば、今年はいつも春になるとキッチンに大挙してやってくるアリたちが、やってこなかった。毎年、ひとしきりアリーズとのやりとり(やってくるたびに専用のポンポン玉でからめて、勝手口から外へテレポートしてもらったり、通り道を確認してそこにみんなが入り帰ったあと、入口を練り消しゴムでふさがせてもらったり)があるのに、今年はなかったので、不思議。

お風呂場には数匹だけやってきていたっけ。それもほどなくして来なくなった。

かわりに、一度、壁のわずかな裂け目から大勢の羽虫がぼとぼとと落下してきて、そのみんなが明るい方にむかって、勝手口の網戸にびっしりと集まっていたことがあったっけ。あれはびっくりした。網戸を開けてあげたら、みんな外へ出ていったけども。なぜか産卵場所はうちの壁の中(?)だったようでした。

あんなことは初めて。。。虫たちのみんながみんな、網戸でふさがれた勝手口から外へ出ようとしてたこと、印象に残っています。自分の心の中を映していたかのように、思いそうになりました。

Img_1114 今日は、「猫の額庭」に、ヒメヒマワリの一番花が咲いています。毎年同じ場所に出てきて、毎年咲いてくれているヒメヒマワリたち。これまでも心のなぐさめになってくれたこと、何度もあった花です。青空にとても映える黄いろ。

こうやって季節のことを確認して、文字にして、書いていることの意味は、自分の精神にとっての養生のみ、と、よくわかっています。今は書くことが、自分を保つためにできることだと感じる。こういうふうに言葉を使っていいのかどうかな、とか思うところはいろいろあるけれど。

季節のめぐりを記録すること。自分の言葉を発すること。それで、なんとか。なだれのように崩れ落ちていかないようにしているようなふうです。

こころから明るいほがらかな気持ちになれなくなって久しいです。こういうときも必要なんだろな、とは思うし、なにかとのバランスをとっているのだろう、とも思うけれど。キラキラしたものに接すれば接するほど、違和感が大きくなっていくのを、どうしようもできずにいます。

今の時代は、言葉にも写真にも映像にも、「ほんとうのこと」が成分として少ない気がしていて。「ほんとうのこと」が逃げて、スカスカのものを、やりとりしあっているような。。。

こういう想いも全部、調子の悪いわたしの脳みそのせいなんだろう、とも思うけど。

* * *

Img_1002_2 こないだは、母の命日で、久しぶりに父に会ったので、少し早いけど父の日のプレゼントに、陶芸ワークショップでつくったお皿をあげたら、おもいのほか喜んでくれて、うれしくなりました。

Img_0867 Img_0855 ハコベとヘビイチゴで模様をつけたお皿。どちらも大好きな野草。北鎌倉の「たからの庭」にある「たからの窯」でのワークショップでつくりました。たからの窯の庭や周囲に生えている木の葉や草を自由に採取して、好きな模様にしてよかったのだけど、すぐにハコベとヘビイチゴに決めました。Img_0848Img_0849

こうした野の草や野菜とかが今も大好きなのは、小さかった頃父が畑をやっていて、作業をするときよくわたしを連れて行ってくれていたからかも、とふと思いました。

小さい頃の記憶はうすらぼんやりとしていて、あまり覚えていないのだけれど、畑で過ごしたときの記憶はあざやかです。トウモロコシがわたしの背丈より高く育って、立派な実がなっていたようすとか。畑の端に、父が抜き取った草を山にしていたようすとか。畝と畝のあいだにしゃがんだときの感じとか。

ある年、イチゴを畝1つ分つくったのだけど、収穫できたのはたった1粒だったこと。その1粒を父がわたしにくれたこと。これもよく覚えています。今でも食べ物の中で一番好きなのがいちごなのも、このせいかもしれない。

そんなことを思い出すと、野草の模様のお皿(まんなかはイチゴの葉っぱによく似たヘビイチゴの葉っぱ)を、父にあげることができて、うれしかったです。

Img_0852 「たからの窯」は山あいのとても静かな場所で(駅から歩けるのに、登山道の入口あたりにあって)、うかがったのは雨模様の日だったけれど、とても安らぎました。また行きたい。

このお皿を見て、陶芸家の友人が「いいスジしてる、さすがクラフトウーマン(笑)」と言ってくれて、いやいやそれはひとえに、初心者でもつくれるように工夫してくださってる先生の努力のたまものなんだよ、と思いましたが、クラフトウーマンと言われてふと考た。

グリーンウッドワークや靴下を編むことなど、手仕事はやっぱりすごく好きだけど、これは母ゆずり。だけど、母が真剣に取り組んでいたジャンルの手仕事はやってこなかったな、と思いました。自覚的に避けてきたわけではぜんぜんないのだけど。パッチワーク、彫金、ステンドグラス、洋裁、レザークラフト。どれも今となっては、やっていたらよかったのに、道具もみんなそろっていたのに、と思うけど、やろうと思ったことはなかったのでした。母を越えられはしないことが明白だったからなのか、何なのか……?

20131012_133124とくに縫い物をしているときの母の手は「魔法の手」だったと今も思う。晩年母が一番気持ちを注いでいたのはパッチワークだったけれど、あの気の遠くなるようなサイズのものをひと針ひと針、手で縫っていた姿を覚えています。いつもみんなが寝た後、夜中の2時くらいまで縫っていた。

癌が進んで、目がかすむようになってからも、針を持とうとしていたことも、印象に残っています。母の遺作は、布を継ぎ合わせるところまでが終わっていて、あとはキルテイングするだけなのだけど、わたしは今だに完成させられずにいます。

Img_1070 個人的には母の彫金の仕事が、好きでした。形見分けでもらってきたこれは、今もお気に入り。オリーブの枝をくわえた鳩のモチーフ。かわいいです。

小学生のとき、自分で柄をデザインしてレザークラフトでつくってもらったペンケースも、今も持っています。

で、陶芸の話に戻ると。陶芸は前からあこがれてはいたけれど、やっぱり、自分のすることだ、とは思ってこなかったのでした。これもたぶん、祖母と祖父が陶芸をやっていたせいかもしれない。ふたりしてさまざまな器やお皿やカップを大量につくっていて、ふたりが亡くなった後、父と母は整理が大変だったみたいでした。で、かなり処分したらしかった。父は少し陶芸に興味を持っていた時期があったけど、結局やらなかったのは、「焼きものは作ったものが残りすぎる」という理由だったように記憶しています。割って処分しないといけないから、と言っていたような。

祖母と祖父はふたりとも手びねりでつくるのが好きだったらしくて、味のある(くせのある、ともいう?)ものばかりだったから、父と母にとっては使い勝手がよくなかったりしたのもあったかもしれないです。

Img_1110 でもああいう器は、重ねにくかったり洗いずらかったりしても、やっぱり好きだ。。。で、祖母の遺品の整理のときに、処分用の段ボール箱につっこまれていた中から「わたしがもらう」と言って引き取ってきたカップやお皿は、今もわが家で活躍しています。祖母と祖父のサインが裏に入っている、素朴でかわいい手づくりの器。楽しんでつくったことが伝わってくるものばかりです。Img_1109_2

野菜づくりも、暮らしの道具づくりも、それにいそしんでいる姿やその仕事を見せてもらってこれて、ありがたかったな、と思う今日です。自分が受け取ってきたもののすばらしさが分かるのは、こんなに年月が経ってからだったりするんだな。。。当たり前のように自然にそこにあると、なおさらそうなのかな。。

なんだか申し訳ない気持ち。

posted by な at 23:41| Comment(0) | 季節のこと