最近、意識がちょと、浮遊しているみたいです。涼しくなったこともあってか、とりとめなく、時空について、考え続けているようなふうです。
久しぶりに図書館へ行って、気が惹かれた本は
「世界の調律」という、音や聴覚に関する情報がふんだんに載っている本と、
「光の箱舟」という、意識と幾何学と素粒子に関する本でした。。。
「光の箱舟」のほうは、時空や次元の説明に、視覚的な表現が多いです。「観察者」としての「あなた」が「モノ」を「見る」とき、というところから出発することで、多次元で展開する幾何学を理解しやすくなっていて、理数系でないわたしでも楽しく読めました。
ただ、「世界の調律」で音と沈黙と聴覚にちなんだ事柄のオンパレードを体験した直後だったので、この視覚をメタファーにした表現(「見えている世界」とか)に、とまどいを感じてしまったのも事実です。
実際のところ、視覚はあくまでメタファーなので、肉体の五感の1つとしての視覚と混同してはまずそうです。
それにしても、言葉で表現すると、どうしても五感の視覚とオーバーラップするのでまぎらわしい。。。このあたりを、すっきり五感と切り離して表現しようとすると、数式をえんえんと書いていく抽象表現になるのでしょうかー(理数系ではないので、これはまったく未知の世界なんだけれど。。)
視覚をメタファーにするとこんがらがるなー、と思ったのだけれど、この本を昨日読んで、眠ったら、今朝の明け方には、自分の目の前の世界がニ重に重なり合ったものでできている、という映像の夢を見ました。
夢の世界は、もともとメタファーだらけ。。。
でも、タロットを描く、ということをとおして、数の原理を学びはじめて以来、無味乾燥だった「数字」にも、たっぷりした奥行き感が出てきました。数は、抽象概念だけれど、数自体がメタファーでもあるということを知りました。たとえば、
1は「始まり」のメタファー、
2は1で始まったことへの「反動」のメタファー、
3は2で現れた二極を俯瞰する「パースペクティブ」のメタファー、
などなど。
数字そのものに、「量」だけを測るのでない、「質」を表現することのできる面もあるのだな、とタロットの絵を描く中で、知りました。数字ともっと仲良くなれたなら、数式の語る内容も、たっぷりと豊かに響くようになるのかなー。。
*タロットのお絵描きをするときのテキストには松村潔さん著「数の原理で読むタロットカード」(星和書店 2003年) を使っています。
*タロットのお絵描きでお世話になっているのはアトリエえんどうまめさんです。