愛するという言葉の意味が、わからない、とずっと思ってきて、今だもって謎なんだけれど、今、猫の額ほどの庭を眺めながらごはんを食べていたら、唐突に降ってきた想いがありました。
「愛したら、愛がかえってきた」
この北側にある小さい庭は、今年の春まで、どうしたらいいかわからずにいた場所で。「雑草」が伸びたり、前の住人が植えていた宿根草が花を咲かせたりするのを、時に少し困ったりしつつ受身で受け取ってきました。
明るい日差しと、緑の芝と、キウイ棚のある、広い南側の庭(この庭は借景だけで、実際はお隣さんの庭)のほうに、気をむけて2年ほど過ごしていたのです。
でも今年の春、なぜか、この小さい北の庭が大好きになりました。
芝がメインの南の庭とはまた違って、季節ごとに、自分が植えてもいない野生の草や花が順繰りに生える北の庭。
思いどおりにはならないし、いいときもそうでもないときも、すばらしいところも困ったところもあるけど、大好きになって、自分なりにちょっとお手入れをして、毎日水やりをしてこう一緒にいて、花々の咲く様子や、蜂や蝶や小鳥が来てくれる様子や、イモムシがはっぱを丸裸にする様子や、一度元気がなくなった木なんかがまた葉っぱをぐんぐん伸ばしてくる様子を眺めてきました。
ことりの夏の水浴びのために釣ったお風呂を、ことりがぜんぜん使ってくれなくて、かわりにアシナガバチが毎日入りに来てくれたり。いんげんを育てようと植えたところ で、その土に混ぜ込んだコンポストに入ってたかぼちゃの種(?)が発芽して、いんげんより立派な感じで大きくなってきたり。ギボウシの茎についてた、カビだとばかり思ってた白いフワフワが、突然動いて(!)、じつは綿あめみたいな体をした米粒大のかわいい虫だったことが判明したり。そういう意外性も楽しくて。。。
いろんな動きのあるこの庭を眺めてたら、さっきの、「愛」についてのことが降ってきた。
愛ってこういうものなのかー。。愛すると、愛がかえってくる。
そういうことなのかー。ならば話は簡単だなぁと思いました。
相変わらず愛という言葉は苦手なので、自分の中では言い換えて、大好きになると、喜びがかえってくるんだな、と納得しました。
庭だけでなくて、のらねこについてもたぶん同じ。ことりについても。家族についても。にんげんのともだちについても。
単純で幸せな循環、なんでないか、これ?
(でもたぶん、今の自分が思考力がなくなりすぎて、単純バカになってるだけなんだろうとも想像する。。。)
けど、単純バカでいるのって、主観的には幸せ度高いです。
最近はほんとうに、生きものが生きてる様子をただ見てるのがうれしい。
欲望のデトックスが進んできたのかな?
でもメディアや店先やどこだかわからないとこから取り込んできた、へんな(?)欲望を、体から抜く作業…に意識的に取り組んできたわけではないので…。
歳とってきたおかげで、ちょっとは進んだのかな??