週末から今日はまだ、プチなつやすみが続いています。今朝はすっきり目覚めて、植物にお水をあげて、洗濯をして、キッチンの床掃除をして。しばし「夏休みこども電話相談室」をラジオで聞きつつ、請求書づくりやら、メール返信やらをして、さあこれから、なにしようかな、というふうです。
ここしばらくの、すべてと距離が出てきて自分が消えてくような感じや、全般的な気力の足りなさ、ひきこもりがちな傾向については、プログレスの新月を前にするとそういうふうになるものなのだ、とわかってから、「これからずっとこうだったら」という不安がなくなって、もう少し、ゆだねていられるようになりました。逆説的だけど、じゃっかんやる気も取り戻せたかもしれない?です。
しかし、時間ができたのにもかかわらず、木工に戻る気にならないのは、暑いせいなのか、なんなのか。
つくりかけだったトライポッドスツールは、少し前に、なんとか完成して、一応使えるものになってうれしかったのだけど。。。
あ、最終的にこんなのになりました。
座面は革は避けたかったので、手元にあるなかで、織目のつまった布や、「引き裂き強度」が強いといわれるタイベックなど、ためしてみたのだけど、この作り方サイトにあるように、座面を脚に直接打ち付ける(ネジで)方法だと、重みがかかったときの負荷にたえきれず、避けてしまいました(私のつくった寸法がフルサイズでなく、ミニサイズだったからか、それとも生木を使ったせいか。。わからないですが)。
仕方なく、手持ちの革を座面にしたら、こんどは革も、ネジを打ったところから裂けてしまい。。。別の方法(脚の上にかぶせて、紐で巻いてとめる)を思いついて、やってみたら、ようやくなんとかなりました(ただ、どのくらい長く使えるかは、まだこれから要検証)。
巻いて、紐でとめるときの、この紐は、織りテープを使うことにして、長いまま、3本の脚を一連なりにしてとめました。こうすると、脚の開きを止めることにも少しは貢献しそうかな、と思って。
革の上から、前回つくって強度が足りなかった、織物の座面を被せてみました。
たたむとこんなふう。手にもってくらべてみたら、手持ちのミニ折り畳み椅子(パイプと帆布製)より、ちょっと軽かった。
脚は華奢だけど、木目に沿っているので、柔軟性と強度があるのが気に入っています。
で、この「木目に沿う」ということ。わたしがグリーンウッドワークで特に好きなのは、そこです。
スプーンづくりの講座で教えていただいて、スプーンを一本つくり、帰宅してから、おさらいの目的で、教わった方法でもう2本、スプーンをつくったのだけど、そしてどちらもモノとして、スプーンとしてはまあまあ使いやすく、わりときれいな形にできて、とってもうれしかったのだけど。
そしてそのうち1本は、ウワミズザクラ、という、昔の亀の甲羅占いと縁のある木でつくったので、占いや星読みを専門にしている友達にぜひ使ってもらいたいと思って、プレゼントできて。友達もウワミズザクラのことを知って、そのかわいい白い房状の花の写真も自分で調べて探してきてくれて、この樹とのおつきあいを深めてくれたことが、すごく嬉しかったのだけど。
そう、なんというか、自分がしたいのは、モノとしてある程度完成度のある、使いやすいものをつくるというのも、もちろんなんだけど、もっと強く願うのは、そのモノを通して、木々とのつながりを、ご縁を、深めること、みたいです。
なので、その木々の体をいただいて、削らせてもらうとき、一方的に自分の望みの形を押しあてることは、したくなかったのでした。木目に沿うこと、節を生かすこと、その材がなりたがっている(と感じられる?)形についていくことを、できるかぎり、したい、というか。。。
でもそうしていくと、かなりユニークな形状になって、使いやすさの面でどうよ?となることも確か。わたしの最初のサービングスプーンなぞは、そのいい例です(でもあれはあれでやっぱり、ああしか成りえなかったようにも思ったり。。)。
スプーンづくり講座を教える側になれば、ある程度使えるものを完成してみなさんに持ち帰ってもらって、そのスプーンを実際に使う喜びを体験してもらうことが大事だし、そのためには、型紙もノウハウも、ものすごく役に立つということ、よくわかります。
基本があって、はじめて臨機応変が出てこれるわけですもんね。。。
だからたぶん、講座を受けているときや、家でおさらいしてるときの、わたしの態度が、材に対して自分の意思を「押しあて」すぎてたんだろうと、それだけのことだったんだろうと思う。。。自分は作業が遅いので、皆さんと足並みをそろえるために焦っていた部分もあって。家でやるときは、じっくり時間をかけて、材と交流しつつやることだってできたのに、サクサク作業することにあこがれて、「何時間で1本つくれるかな?」と考えながらやってしまったひとときもあったから(でも最後にはじっくり作業になって、やっぱりそのときはぐぐーと材の中にのめり込んでいったのだけど)。
最終的には、自分自身の基本をどこに置くか、ということなんだろうな。
「途中でやめる」というブランドを立ち上げてリメイク服をつくっている山下陽光さんのやり方が、おもしろいな、どうというのはわからないけど参考になりそうだなー、と思っていました。「途中でやめる」のネットショップのサイトには「想像以上に低クオリティです。」の一言。
いろいろに付加価値を付けることで、値段を下げている。。。
一緒に働いてもらう人は、とりあえず家にきてもらって一緒に呑む。。。
などなど。
木工品も、もっと身近なものになってほしいし、しかも、道具になる以前のその木とのご縁をとりもちたい。この樹は家の中で○○になってくれている樹、と親しく感じられるような樹が1本でも増えたら、嬉しいのだなー。
ってことで、庭で剪定したセンダンが折り畳みスツールになる、そういう感じの喜びをシェアしていける方法。。。を、ぼおーと考えています。
木と交流しながら作って、道具に成ったあともその木との交流を保てるような。モノとしての完成度ばっちりというよりか、モノとしてもちょっとクセがあって、使う時に個別に気を配ったりしないといけないような。。。??? そういうモノとのおつきあいというのは、どうでしょね?