毎日暑くて、このところサラダばかし食べたい。最近のリピートメニューは、パンケーキのサラダのせです。マヤナッツを入れた甘くないパンケーキを焼いて、その上に手持ちの野菜を適当に盛る。粒マスタードとマヨネーズとメープルシロップを混ぜ合わせたソースをかけるのが、今年のマイブームです。お手軽でボリュームがあって、よいです。。
おとといの深夜3時まで、7時間作業した分の仕事のデータが、なぜかフッと消え去り、昨日は切ない気持のままやり直しをして、なんとか約束した期日に間に合うようがんばっていたのだけど、そうこうしているときに、ラジオが届きました。
いろいろを終えた夜に、はじめてスイッチオンをしてみたら、思っていたよりクリアーな音が、小さなスピーカーから聞こえてきて、びっくり。
ラジオの番組表を持ってないので、適当にダイアルを回していくと、日本語、韓国語、英語、中国語、??語、さまざまな放送が聞こえてきた。灯台放送だけは周波数がわかっていたので、さっそく合わせてみたけれど、室内からではだめみたいでした(お外で今度ためしてみよう)。
いろいろ聞こえてくるなかで、とても奥ゆかしい女性の声の、日本語の放送があったので、興味をそそられてしばらく聴いていたら、それはFEBCというプロテスタント系キリスト教の放送局でした。毎晩1時間と少しだけ、やっているらしい。最後の最後に、お祈りがあって、そしてさらにそのあとに周波数やコールサインを言うのだけど、そのときにわかったのが、放送局が韓国の済州島にあるということ(不思議におもって後で調べたら、「日本の放送法では日本国内での宗教放送局の設置が認められていないため」済州島に移されたそうです)。
このラジオでの記念すべき初視聴は、プロテスタントの放送局。。。先日、プロテスタントに入信するには、「あかし」の体験がやってこないといけないのだ、だから自分が入りたいと思うだけで入れるものでないのだ、という話を聞いて興味をもったばかりだったので、若干ご縁を感じています。
しかしアンテナをひょいっとのばすだけで、室内のおふとんの上で(窓際でもないところで)きれいな音で受信できるとは、予想外でした。FEBCの後は、中国語の放送にダイアルを合わせて、直観的にこれはNHKの中国語講座!と思ったのを、しばらく聴いていました。久しぶりの中国語講座でしたが、解説者の方の舌たらずの話し方が懐かしかった。。。
今日の昼間は、英語の放送が出てきたのでしばらく聴いていました。ニュースなどを聴いてたのだけど、てっきりイギリスの放送局かと思ってたら、ニュージーランドの放送局でした。
ラジオを聴いていると、久しぶりに手仕事をする気になり、ずっと懸案だったつくろいものをふたつ、やりました。やってみると簡単なことなのに、なかなかやる気力がでずにいたのだけど(このとこ全般的に何をするにも気力が足りない感じで)、でもやってみたら、そのあいだはちょっとほっこりと過ごせました。
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遠く外国の地から出されている電波を、自室にいながらキャッチできることに、感慨をおぼえます。天王星は、占星術では水瓶座と結びついていて、その手前の山羊座の「ローカル性の縛り」を越える(空間を越える)性質が言われているけれど、ラジオが天王星的な機器だと言われるのもうなづけます。
もひとつ次の魚座(海王星)になると、空間だけでなくて時間も越えるわけなのだけど。そして海王星になると、もう機器はいらなくなるんだろな、という感じもするのだけど。。。(占星術的に、来年わたしはプログレスの月の新月を魚座で迎えることになっていて、次の30年サイクルはどんなふうになるのかなああと想いを馳せています)。
自分にとってラジオはひょっとして、p月新月を水瓶座で迎えたここまでの30年を、総まとめしつつ、次の魚座への道を案内をしてくれるデバイスなのかしらん?
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時期をおなじくして、大好きな友人が、不思議なご縁があってホルストの『惑星』に合唱で出演したという話をききました。指揮者がフィンランド人女性だったこともあって、ぐっと興味がわいて、その演奏をBBCのラジオのネット再放送で聴きました。すごくいろいろにびっくりしましたが、特に、最終楽章の「海王星」は、からだに浸みいるようなふうで、その最終楽章の最後の最後に、友人が参加した女性の合唱(言葉のない声のみ)が入るのだけど、ふわあとまさに霧のように声がリピートしながらフェードアウトしていくとき、わたしの意識も飛びました。。。
http://www.bbc.co.uk/programmes/b063dgp0 (BBCラジオのネット再放送、期間限定なのですが)
この『惑星』のラストの女性の合唱隊は、ステージ外(見えないところ)に配置するよう作曲者のホルストは指示していたそうで、今回の演奏でも、友人たちElysian Singersのみなさんは、客席からは見えない天井桟敷で歌ったんだそうです。客席で聴いていると、天から降って来るかのように聞えたろうな。
ホルストが作曲した当時はまだ冥王星が発見されていなかったから、「冥王星」という楽章がない、というのも、ぐっときました。
冥王星が発見されるのは1930年になってから。そして2006年には惑星を「降格」して、今ではもう惑星のくくりには入らなくなっているので、今の時代はまた、ホルストの作曲したままの『惑星』がしっくりくるようになった、とも言えます。
冥王星の不在は、どんな意味なんだろうな。冥王星が担っていた役割は、今どうなっているんだろうな。。。
“戦争法案”は廃案を、と小さく声にしつつ、みんなの大きな声がひびきわたっているのを聴いている、この夏。「現実」という大粒の粒子と、星々の微細な波長、両方がお互いに浸透しあってそこにあることを思っています。