今朝はながながとした、なかなか大変な目に会う夢を見たけれど、思い返すと身体感覚として残っているのは、原付バイクらしきものに乗っていたこと。。
1月に人生初の乗り物免許を取ったのが、原付免許。。。一生懸命勉強して取ったのに、合格したその日の教習で数時間乗っただけで、まだぜんぜん乗れていません。もとより、バイクとのご縁がまだなのだった。
公共交通機関では行きにくい、山奥や森のほうへ、行きたいと思ってのことだったけど、街中を原付で走ると思うとなんだか怖い。。。でも街を通過しないとその向こうへは行かれないんだよね。。。(汗)
ホンダのカブに乗りたいという希望があります(背が低いので、リトルカブ)。郵便屋さんドリーミング。フランスの郵便屋さんが乗っているというプジョーのモペッドもいいなーと思ったときもあった。
郵便屋さんの、あの一軒一軒回ってポストに手紙を届けて回る作業は、翻訳仕事の作業とよく似ていると、かねがね思ってきました。
一語一語を、ポストに入れて届けていかないと、なところ。1つも余さずに届けないと仕事が終わらないところ。
すっとばしが不可な、地道さがあるところ。。すっとばし不可な仕事はほかにもたくさんあると思うけど、郵便配達と翻訳はそれ以外にも、言葉を片一方からもう一方へ届ける、という共通項があるから、たぶんすごく近しい気分になるんだと思う。
訳したいなー、と思う本が、いくつかあります。仕事の翻訳に追われて、訳したい本を訳すなんて絵空事なんだけれど。
最近そう思ったのは、Barn the Spoonさんの「SPON」。この初夏に出たばかりの、彼の初の著書です。生木からのスプーンづくりについて、「新しい木の文化」について、森と木々のあいだで野泊まりしてきた人の視点から、語っていらっしゃいます。
どうも、木を使うモノづくりをされる方の中でも、Barnさんや、Mike Abbottさんのように、森の中で、木々のあいだで、寝泊まりしつつ、生木でつくる、ということをしてきた人たちに、とてつもなく惹かれます。
(Barnさんは、ちなみに、Mikeさんの森の工房でアシスタントをしていたこともある方で、わたしもMikeさんを通じて彼の存在を知りました。Mikeさんはいったん“引退”して森の工房をたたまれたあと、今はご自宅のお庭を工房にして活動されてます)。
日本の奥山でかつて暮らしを営んでいた、木地師の方々にも惹かれる。京都・美山の森を歩いたときに、かつての木地師の集落跡に出くわしたときは、感慨深かったです。
先日、目黒区美術館でやっていた「ヨーロッパの木の玩具―ドイツ、スイス、北欧を中心に」展へ行ったときも、はっきり体感したことがありました。
木を使うものづくりの端っこをかじっている身としては、この展覧会に興味を持ったのはなんの不思議もないことです。けども。展覧会場で、とてもよくできたさまざまなつくりの木の知育玩具を見ていたときと、「手仕事を愉しむ、伝統的な玩具」のセクションの、とりわけ「ライフェンドレーエン」という生木から手作りする手法のおもちゃを見ていたときと、自分の心身の反応が自分でもあきれるくらい違っていました。
つくづく自分は、生木の手づくりのものが好きなんだなー、木製ならなんでも好きなんじゃないんだなーと実感させられました。
ライフェンドレーエンは生のトウヒを輪切りにしたのを、木工ろくろでけずっていって、金太郎飴のバウムクーヘン版のようなものをつくっていって、そこから動物などのミニチュア細工をつくる手法です。以下の動画をみると、ひととおり工程がわかります。
美術館のショップで、クリスチアン・ヴェルナーさん作のライフェンドレーエンの動物たちが少し販売されていたので、大好きなカワウソとシロクマの2頭を連れ帰りました。
クリスチアンさん(上の動画の中の人も、クリスチアンさんだと思う。。)はお父さんから技術を受け継いで、ライフェンドレーエン技法を習得された方。東ドイツ時代には木工業者組合を通じて販売ができていたけれど、東西ドイツ統一後は、車で寝泊まりしながらドイツ各地で自ら販路を開拓した、と紹介されていました。
森で寝泊まりしながら、自作の木のスプーンを売って歩いたBarn the Spoonさんと、少し姿がダブりました(Barnさんは徒歩で旅していたけれど)。
クリスチアンさんの工房があるエルツ山地には、家族中心の手仕事の伝統があって、今も100以上の小さな工房で木工玩具作りが続けられているとのこと。エルツ山地はかつて錫鉱山で栄えた場所で、木製玩具づくりは鉱夫の副業だったそうです。最初は自分の子どもたちのために作っていたんだそう。
ゲルマン民族研究家の岡部由紀子さんは、展覧会のカタログに寄せた「エルツ山地の八百年と木工玩具」という文で、「鉱山での仕事は若い時にしかできないきつい労働だったことと、けがをして鉱山で働けなくなった人が多かったことが、この地で木工芸が発達した理由のひとつでもある」と書いておられました。
東ドイツ時代は「11人以上の従事者がいた工房は強制的に国有化され、合併して大きな工場に再編され、流れ作業で玩具の大量生産に携わった」ともありました。でもクリスチアンさんのお父さんは、少人数の工房を構えていたので、東ドイツ時代も合併されず、独立した工房として仕事を続けてこられたそうです。そして3人の息子さんが、技を受け継いで、それぞれにいい仕事をされています。
たいへんなご苦労があったんだろうと思うし、今もあるのかもしれないと思うけれど、スモールスケールな生木の木工の手仕事が生き残っているのは、なんか、灯火みたいに感じられてしまいます。
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こんなふうに書いたけれど、目黒区美術館の「木の玩具」展の、手仕事じゃないほうの展示セクションも、興味深かったです。特に現在の積み木など、当たり前のようにあるおもちゃの起源だったという「フレーベルの恩物」の展示や、大正時代に使われていた「モンテッソーリの感覚教具」の展示は見ごたえありました!展覧会は9月初めまでやっています :)