当事者でないと、やっぱりわからないこと、というのが圧倒的にあるということを思う今夜です。わかりあいたい、わかりあえるはず、という夢もあるからこそ、がっかりするけど、でもまずはこれを認めるところから、はじめないとなんだなあ、と。。。
いろんなことを思って、心にいろんな波が立つけど。
ぜんぶわかりあえるわけではなくても、わかりあおうとするっていう方向へ向かうことはできて、それがきっと尊いことなんだろうな、と思う。
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ハワイのお話の続きです。ハワイアン航空の帰りのフライトは、時差ぼけ対策でなるべくずっと起きていることがポイントだったので、映画や特集番組を見まくったのだけど、すばらしいことにすべてハワイ関連のコンテンツだけを見ているうちに着陸時間がやってきました。
映画は40数本から選べたのだけど、選択画面で出てくる画像だけを見て「これだ」と選んだ2本は、どちらも全然知らない映画だったけど、オアフ島が舞台の映画でした。
1本目は『ハウマーナ』という、男性のフラダンサーについての映画。ワイキキで観光客向けのショーの歌手をしていた男性が、子どもの頃からやっていたフラにひょんなことから向き合い直すことになって、紆余曲折を経てクムフラ(フラの師範)になる方向へと人生が切り替わって行っていく、というお話。
ハワイを題材にしたハリウッド映画かしらん、と思って見始めたけど、ハワイアンの人にとってフラを踊るとはどういうことなのかを、丁寧に伝えようとしていて、これはハワイの人が撮った映画かも、と途中で思い始めました。(※「ハワイの人」とは、民族的にネイティブハワイアンの人というだけの意味ではない、もっと広い意味でのローカルの人のことです。ハワイの人は民族的にいえばハーフ、クォーターよりももっとたくさんの混血であることが普通みたいだし、ハワイに生まれたり育ったり長く暮らしたりした人はみんなこの地の人なんだ、と今回実感したのでした)。
映画の途中、主人公率いる男子学生フラグループが出場するフラの大会のシーンがあって、その大会の様子を描写しているところで、ソロで踊る男性が出てくるんだけど、後でエンドロールを見ていたら、その踊り手を演じていたのが監督さんでした。なのでひょっとしてこれは監督自身の自伝的なお話?と思って、後で調べたら、生まれも育ちもハワイのケオ・ウールフォード監督がこの作品の脚本も書いていました。
監督自身のプロフィールを見たら、かつてBrownskinsというハワイのボーイズバンドのメンバーで、後に俳優に転じて映画や舞台、テレビで国際的にも活躍されていました。そして同時にフラの修行も積んでいたんだそう。
そしてクムフラ(フラの師範という意味の言葉だけど、伝統的フラの正統な継承者・指導者を指す位らしい)に去年の夏なられていて、そのあと11月に脳卒中で他界されていたと知りました。
監督のこの作品は、フラが単なる踊りではなくて、生き方そのものだということがよくわかる映画でした。文字を持たなかったハワイアンにとっては、古くからの叡智や価値体系の伝達手段であって、神々との交信手段でもあったんだ。。。
そしてクムフラになるということの、責任の重さも、伝わってきました。そういえば、今回の旅の間、家族のみんなと観光船にのって川下りに参加したときがあったのだけど、そのとき船上でライブ音楽とフラのパフォーマンスがちょびっとだけありました。そのダンサーの方とミュージシャンと一緒に、下船して、滝まで歩いて、また船に乗って帰ってくる、というコースだったのだけど、滝から船に戻るときに、わたしだけ皆に遅れてしまって、たまたまダンサーの方と2人だけで少しの間歩くことになりました。
とてもきれいな方なので、どきまぎしましたが、「ダンス、とてもすできでした。長く踊っていらっしゃるんですか?」と話しかけてみたら、「5歳のときからです、だから45年」と。なるほど見事なダンスなはずだーと思って、「もしかしてクムフラでいらっしゃいますか?」と聞いたら、「いや、ちがいますよ!クムフラは責任が重すぎて、片手間でできるものじゃあ、ありません」とおっしゃって、それが印象に残りました。
クムフラは無償でやる仕事だ、とどこかで読んだのも思い出しました。みんながみんなそうなのかどうかわからないけれど。生徒たちにしっかりと伝統を受け継いでもらうには、実際大変な責任を伴うみたいです。
イプという大きなひょうたんのたいこをたたいてチャントをうたう、クムフラ。
ノースショアのワイメア渓谷で出会った小学生の一団が木々の下で踊ったときも、そういえば、方隅にイプを手にして地面に座っていた女性がいました。彼女の掛け声のもと、子どもたちはまず大きな声でチャントを唱えながら4つの方角を向いて、それから踊りだしたのでした。
遠くから見てたけど、みんなの真剣さがわかりました。
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もう1本、飛行機の中で見た映画が『ザ・ライド』です。こちらはサーフ映画とおぼしき映画だったので、軽い気持ちで見始めたのだけど、ハワイの英雄であり伝説のサーファー(&水泳選手)、デューク・カハナモクへのトリビュート映画でした!
『ハウマーナ』同様、ハワイ出身の監督(ネイザン・クロサワさん)が手掛けた映画で、『ハウマーナ』同様、役者として活躍していたわけではなかったハワイ出身者を大勢キャスティングしていました。「リアルな人と、リアルな場所で」この映画をつくることを旨としたそうです。
この映画、サーフィンというスポーツの原点をたどれる映画です。そしてそもそもサーフィンが生活の一部だった、1911年当時のハワイの人たちのあり方。。。ハワイの伝統や価値観も、ひしひしと伝わってきます。デューク・カハナモク役の方の存在感のジェントルさは、ほんとうにすてきでした。「板に乗るんじゃない。波に乗るんだよ」というデュークの名言も。
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ハワイざんまいのインフライト・プログラムで、映画の他にはハワイのトランスジェンダーの方についてのドキュメンタリー番組も見ました。
男女両方のスピリットを持つ人(トランスジェンダーの人)は、古代ハワイでは「Mahu」と呼ばれて、ケアテイカー、ヒーラー、古くからの伝統、聖なる知恵をフラやチャントを通じて伝える教師として尊敬されていたんだそう。
見たのは現代のトランス(FTM)の小学生ホオナニさんについての25分版番組で『A Place in the Middle』というタイトル。実は77分版のドキュメンタリー映画の部分を再構成したものらしいと後でわかりました。長編のほうは、『Kumu Hina』というタイトルで、ホオナニさんの学校で先生をしているトランス(MTF)の先生、Kumu Hina(ヒナ先生)が中心の内容。長編のほうも見たいな。。。
25分版のほうは、ほんとうのAlohaのスピリット(お互いを尊重しあって調和の中に生きること)を考えるための教材として、ハワイの学校で使われたりしているみたいです。Youtubeでも見られます(ちょっと不完全だけど、日本語の機械翻訳字幕を表示することも可能です)。
ヒナ先生も、ホオナニさんも、唄が、チャントが、うまい。。! ホオナニさんはウクレレもすごくうまい。。。
チャントがうたえることが、伝統を受け継ぐことの大きな部分を占めていることを、改めて思った次第です。
それと、ヒナ先生が11歳のホオナニさんに「わたしはあなたが男子の列に入りたいのがわかっているし、入ってもらってOKだけど、他の人は、あなたが女子の列に入るのが当然と思ったりするかもしれない。そんなとき……若いうちはね、ただ流れに任せるのよ。わたしくらいの年齢になったら、もう他の誰かのために動かなくてもよくなるからね」と諭していたのが印象的でした。
「さいしょはがまんをしなくちゃいけないけど、いずれは他の誰かのために動かなくてもよくなる」というのが、ハワイの伝統文化のたどった道と重なるようにも思えました。
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インフライトプログラムには、私と相方の憧れのかたまりである、ハワイの双胴カヌー、ホクレア号についての番組もありました。ポリネシアの伝統航海術の継承者、ナイノア・トンプソンさんのお話も聴けて、すごくよかったです。
今ホクレア号は世界一周航海の真っ最中。番組では、ホクレア号が寄港した先での様子をドキュメントしていました。
ホクレア号のはじまりに関する映像は、オアフ島滞在中に行ったビショップ・ミュージアムのプラネタリウム番組「Wayfinder」でもじっくりと拝見することができて、至福でした。(短いバージョンだけどみられるが動画がありました↓)。
Wayfinders: Waves, Winds, and Stars (Fulldome Preview) from Daniel R. Rogers on Vimeo.
ビショップ・ミュージアムのプラネタリウムは、ナイノアさんが伝統航海術を学ぶ過程で、星空を勉強するために通い詰めた場所だったんだそうです。
長編のほうでは星の航海術の一端をバーチャル体験できるしかけもあって、星をつかって東と西を見極める方法も教わりました。ホクレア号の名前の由来は、ホク・レア(ハワイ語で喜びの星)と呼ばれる星、アークトゥルス。このアークトゥルスとスピカが水平線近くにあるときに、2つの星を結んだ中間点が真東になる、んだったと思う(記憶が正しければ)。西も同じように2つの星を結んだ中間点だったんだけど、どの星だったか思い出せない……。
それにしても星がわかれば方角も緯度もわかるってすごいな。地図が頭上に広がっているようなものだなんて。。。
星が見えないときでも、潮の流れや波、風、鳥などでナビゲートしていくのが伝統航海術なんだそうです。
この伝統航海術をハワイに蘇らせることになったきっかけとなった人は、実はミクロネシアのサタワル島のマウ・ピアルグさん。伝統航海術を受け継いでいた人でした。ハワイでホクレア号が完成したとき、ハワイには航海術がわかる人がいなくて、1976年にマウさんがホクレア号をハワイからタヒチまで、機械類を使用せずにナビゲートしてみせたのでした。これを見て感動したナイノアさんが、マウさんに弟子入りして、ハワイに伝統航海術が蘇ったのでした。
そういえば。。。ビショップミュージアムへ行くのにuberという民間タクシーを使ったのだけど、そのドライバーの方がミクロネシアのコスラエ島出身の方で、ホクレア号の話になったときに「うちの国の人が伝統航海術をホクレアの人に教えたんだよ」と誇らしげに言っていました。サタワル島とコスラエ島は同じミクロネシア連邦に属する島。「彼はもう亡くなったけど、彼の子孫に、伝統航海術は伝わっているよ」と言っていました。運転手さん自身も海軍に入るためにオアフ島に越してくるまでは、生活の一部としてカヌーに乗っていたそうです。
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ホクレア号はハワイの伝統文化とアイデンティティを取り戻す動きのきっかけをつくったけれど、今はもっと先へと歩みを進めている、と今回実感しました。
オセアニアの海域からこんどは世界一周航海へと出発することになった2014年に、ナイノアさんがおっしゃった言葉。泣けた。
「この航海は……自分たちのためにするのではありません。3年間旅に出るのは、地理や国家、民族によって定義されるのではない文化を見つけるため。この地球上に出現する必要がある新しい文化、全人類に関わる文化です。その核心にあるもの、その文化を定義するものとは、価値観です。”富”の新しい定義、それは、貯めたり自分たちのものにしたりできるもののことではありません。”富”の新しい定義、それは、みんなに贈れるもののこと。私たちはそう信じているし、そのために航海するのです。」
ホクレア号は現在世界一周の終わりに近づいていて、ラパ・ヌイからタヒチに向かう途中。4月中旬にタヒチに到着予定です。そこからハワイへと帰路につき、2017年6月にハワイに帰って来ることになっています。現在位置などのリアルタイム情報はPolynesian Voyaging Societyのサイトから見られます。
サイトを見てわかったんだけど、Mālama Honuaと名づけらたこの世界一周航海の公式スポンサーがハワイアン航空でした。ハワイアン航空はベジメニューがないという残念ポイントもあったけど、それを上回るすてきさがあるな!
Mālama Honuaとは、シンプルに訳すと「この地球という島のお世話をすること」という意味なんだけれど、ハワイ語の意味合いとしては、「この世界を構成しているあらゆるもの、大地、海、生き物、文化、コミュニティを大切にして守ること」なんだそうです。
Aloha。。