2019年02月27日

ソローの小屋

Img_7505 ボストンへ、アレクサンダーテクニークの勉強へ行くことにしたこの冬。出発前にふいっと、ボストンエリアにグリーンウッドワーカーがいたら会いたいな、と思ってちょっと探してみたら、ボストン郊外のコンコードというところにおひとり、いらした。その方がウォールデン湖畔沿いにソローのお話の絵札を設置した、という話を読んで、初めてソローが「森の生活」を送ったウォールデン湖がボストンからすぐだと知りました。

Img_7508 そんなわけで、クラスの合間の休みの日に、ウォールデン湖を訪ねました。ソローが実際に小屋を建てた場所まで、湖畔のトレールを歩きました。オークの枯葉がふかふかした道。ところどころ凍った雪もありりつ つ。湖も凍っててきれいだった。

Img_7501 小屋の場所は、木々に包まれ ていて、その間から湖が望めるところで、住み心 地よさそうだった。測量士でもあったソローが見立てただけあったもよう。


S__11894793_1 別の場所に、ソローの小屋のレプリカが建ててあって、訪ねた日は小屋の暖炉に火を入れてインタープリター(レンジャー)の女性がお話を聞かせてくださる日だと聞いて楽しみに行ったんだけど、強風の天気予報を受けて、誰も来ないだろうとキャンセルになってた。。でも中に入れてもらえるか聞いてみたら、もちろん、と鍵を開けてくださって、お話も聞かせてくれました。こんな強風の日に来るなんて勇気あるね!と言われた(あとでウーバーで電車の駅まで送ってくれたおじさんによると、強風で木が倒れて道が1時間近く封鎖になった場所が二箇所もあったというから、やばい風のレベルだったらしい。。)

Img_7483 Img_7474_1 Img_7475_1小屋の中は、ベッド(ベッド下に物入れ)、デスク、調理のできる暖炉。あと椅子が3脚(1脚はひとりの時間のため、2脚目は友情のため、3脚目は社交のためと、本人談)。

小屋の部材は、松の樹何本かを切り出したほかは、近くで鉄道の敷設に従事していたアイルランド移民の人たちが建ててた小屋の廃材を譲り受けてリサイクルしたらしかった。

椅子が、どれもとても小さめで座面がすごく低かったのが印象的でした。アメリカにくると家具やドアや調度品や食器がみんな大きくて、いつも慣れるまで巨人の国に来たみたいに感じるけど、ソローの椅子はとても小さくてちょうどマイサイズ。なので背丈の低い人だったんですか?ときいたら、私と変わらないくらいでした。

この小屋で彼が暮らしたのは2年と2ヶ月と2日。その間、町に出て人に会ったり測量の仕事をしたり、実家の鉛筆工場を手伝ったりもして、ずっとこの湖畔にひっこんで思索にふけってばかりいたわけではなかったし、ここで暮らしてたあいだに、奴隷制度に反対して税金の不払いをして、牢屋に入れられたりもしたのだそうです。このときのことをソローが書いた評論が市民的不服従(良心的不服従)という概念の始まりになって、後にマーティンルーサーキングやガンジーのインスピレーションになっていったんだそうです。

彼の信念の貫きぶりは若い時からぶれてなかったみたいで、ハーバード大学を出て地元の学校で教師の職を得たけど、児童のしつけの仕方をめぐる意見の食い違いからわすが2週間で辞任。のちに兄弟と一緒に自分で学校をつくっています。

 ソローが自然、野生に親しんで、つぶさに観察していったところ、野生の中にこそ世界が保たれていると考えてたところは、地球上の生き物の一員として共感するし、どうじに良心的不服従を貫いた、社会の一員としてのあり方もぐっとくる。2つのバランスがあるところ。

彼は生存中は、今のように広く知られることはなくて、ウォールデン湖のある彼の地元コンコードでのみ、名前の知られている人だったそうです。物書きを自分の仕事ととらえていたけど、それで生計を立てることなく、さまざまな仕事をしつつ、生涯独身で、実家暮らしの時期も長かったとのことで、それは当時の男子のあり方として、異例だったそう。レンジャーのおばさんは、ウォールデン湖畔にソローが暮らしてたあいだ、衣類の洗濯はどうしていたか問題というのがあって、どうも実家のお母さんに洗濯はしてもらっていたようだと言っていました。

Img_7469  湖畔の小屋を建てたのも、執筆をするために、実家暮らしでは得にくかった静けさとプライバシーを求めてのことだったらしかった。シンプルに暮らすという実験であると同時に、自分のリアルなニーズを満たすためでもあったんだな。。

posted by な at 00:00| Comment(0) |
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