こないだ電車の中で、編みかけの靴下を鞄から出したら、お隣に座っていた高齢の女性が「靴下?」と話しかけてきてくださって、「私も昔はなんでも編んだんです、子どもの靴下もセーターも。今みたいになんでもあるっていうんじゃなかったから、北海道だったから暖かいものが必要だったしで」と。「でも編みだすと楽しくなって、やめられなくなっちゃうのよね」とにっこりしておっしゃった。
やらなくちゃいけないことだったからという”つらい話”ではなくて、やらなくちゃいけないことだったけど楽しかった、というお話。で、そのうち、編み方はこうやる?それともこう?とか、編み物やる者同士でないと通じない質問をしてきてくださったりして、ちょっと楽しかった。
で、靴下の編み方は、はき口から編む派とか、つま先から編む派とか、いろいろなんだけれどもなんと、彼女は輪編みでなくて、足の裏側と甲側を別々に編んで、はぐ!とのことでびっくりした。お母さまから教わったのがこのやり方で、毛100%の糸は足の裏に穴があきやすいでしょう、だからほどいて底の部分だけ編みなおせるようにしていたのかもって今になって思うのよ、とのこと。このやり方しか私はできないのよ、と。
「生活の必要に迫られてやったことだったけど、楽しいことだった」というのと、「母に教わったやり方を自分もやってきた」というのと、今まで私がやってきたのとまた全然違うやり方があるって聞けて、うれしかったーと思いつつ、竹中大工道具館企画の「南の島の家づくり展」へ行きました。
で、ギャラリートーク「自然とともに生きる―バリの自然食文化」というのをまず聞いたのだけど、トークの内容は予想に反し、バリ島北部の小さな村へ移住して建築設計事務所を主宰しているグデ・クリシュナさんと、パートナーで伝統食の研究・教育活動などをされているアユさんが、「食=暮らしの根っこ&文明の行方を左右するもの」としてライフスタイルの在り方に抜本的なアプローチをかけておられるお話でした。
おふたりはインドネシアの自然に根差した昔ながらのライフスタイルを広範に調査していて、グデさんは『台所からの革命』というタイトルの本を書かれていて、さまざまな現代の問題への解決策として、まず台所から暮らしを見直していこう、と提案されています。みんなができることとして、インドネシアに特化した具体的アイデアをイラスト付きで伝える本。
本はシンプルでわかりやすい、イラスト中心の本だけど、台所の哲学的位置づけから始まっていて。台所は古来、インドネシアでは家を建てるとき最初につくる場所だそうで、心身両面にとって重要な、聖なる場所なんだそうです。
台所から始めて、
巨大産業に頼る→地元の農家を支援する
依存→自立
消費的→生産的(食材・生活道具を地場産の素材で自作)
輸入品→地場産品、自分でも育てる
生態系の破壊→環境にやさしく
貪欲→足るを知る
病気→すこやかさ
こういう方向へ動いていくために、「ミネラルウォーターの代わりにココナッツ水を」「ビニール袋の代わりにチークの葉を」「インスタントヌードルの代わりにキャッサバを」「合成洗剤の代わりに灰やソープナッツを」「プラスチックストローのかわりに竹のストローを」など、具体的な置き換え例が書かれています。
グデさん自身が、土でできた炉で、薪で料理をして、そこで出る灰を土にまいて畑をして、灰で洗い物をして、水は汲んできたのを素焼きの水瓶で自分でろ過して、という暮らしを実践されているのでした。そして、自分がしていることは小さな簡単なこと、私たちはただ私たちがしていることを皆さんに見てもらっています、とおっしゃっていて、本の末尾にも「小さな簡単なことを、私たち自身のために」とありました。
グデさんの所持品である、地域の自然素材でつくったさまざまな生活道具は今回の展覧会でも実物が展示されていて、どれも美しくて圧倒された。ヤシの葉のスプーンとか、MoMAとかにあってもいいようなすてきなデザイン。(写真2枚目はご飯やおかずを入れておくヤシの葉で編んだ籠。3枚目は炊飯デバイスで、これを水を沸かしたうえに置いて炊くため円錐形をしてる)。
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「南の島の家づくり展」の建築のほうの展示も、現地で撮影してきた映像資料と、実物の素材や道具の展示と、自分で屋根をふいてみたりできるインタラクティブ展示もあって。屋根ふきのアイデアの数々は、目から鱗でした(後ほど詳しく書きたいので、ここでははしょります)。
インドネシアのスンバ島の家づくりのドキュメントが見れたのだけど、森で木を斧で伐採して荒くはつり、ツルでゆわいて10人くらいで引っ張って山から運びだして、部材を成形(使う道具は斧と山刀だけ、計測ツールは植物で編んだ紐だけ)、クギ1本使わず組みあがるように細工して、仮組みしてから、現場へ運んで、組み上げて、チガヤで屋根をふく、そこまでを村のみんなでやるのです。村には大工さんという専門職はいなくて、昔ながらのやり方をよく覚えている人がリーダーシップを発揮するんだけど、この人は棟梁ではないし、特別な位でもないわけです。
そうやってできあがる建物は、屋根が高いところから地上近くまで降りている中に、高床構造の建物がすっぽり入っていて、内部は2階(というか3階か!)建てになっている独特な様式。
道具は、斧、山刀、木槌、ツルの紐だけ。材料は地元の森からのもの。で、ものすごい造形の建物を建ててしまう。これを建て替えるときには、山刀をそれぞれにもった男衆たちが2時間たらずでばらしちゃう。
ほんとに見事です。
(スンバ島の家づくりの詳細は佐藤先生のウェブサイトへ。ものすごい情報量で、写真・動画も豊富です!)
この、1人1本は持っているという山刀(ハチェット、ナタの立派なの)をつくっている映像資料も見たのだけど、鉄くずを焚火につっこんで熱して、鉄切り用の斧で形を切り出して、トウモロコシの芯を燃やした火につっこんで鍛冶仕事をしてました。
焼き入れは、竹筒に水を入れたものを炉の横にスタンバイしておいて、ジュッと。
刃を柄にすげるときは、森の木から樹脂をとってきて、細かく砕き、柄の穴に入れておいて、少し熱した中子を差し込んで、溶かしてから冷やし固めて。
砥ぐときはは石を使ってたけど「とくべつな石ではなく、そこらへんにあった石で平らっぽいものを使っています」とのことだった。仕上げ砥ぎにはヤシ繊維を使ってた。。
そうやってすばらしい山刀を完成させていて、すごいなーと思いました。刃の切れ味は、腕の産毛を剃って確認していた。この確認方法は万国共通なのだなあ。
で、トークと展示がよすぎて、その後の夜のシンポジウムにも、飛びこみで参加させていただいたのだけど、このスンバ島の家づくりだけでなく、インドネシアの離島を始め、オーストロネシアの島々でフィールドワークをして建築を研究しまくっておられる佐藤浩司さんのお話がやばかった。
紹介していただいた島々の家は、全部自然素材だけで、素朴な道具でつくっているわけだけど、どれも佐藤さんいうところの「住宅に対する常識をいともたやすく覆してしまう突拍子もない形態の数々」で。しかもそれが「飛び抜けた想像力をもったひとりの建築家の作品ではなくて、みなが共有している社会のデザイン」である、と。
そしてスンバ島の家の内部の一段高いところには、そこに住む人が入ってはいけない部屋が設けられていて、そこは祖霊の間なのでした。見上げてもいけないらしかった。佐藤さんいわく、この並々ならぬ造形の家は、そもそも人間の持ち物ではなくて、人間はそこに間借りしているというふうに理解するのがふさわしいのではないか、とおっしゃってました。
質疑応答のときに、ある人が「この社会では”成熟”という概念はどうなっていますか?建築の技術自体は粗削りというか、完成度が低いわけだけれど」というような質問をされて、佐藤さんはそれに対して「日本のように建築が造形的に形がきまってしまっていると、中にむかって細部の洗練を極めるしかなくなるけれど、それとは逆に、建築自体の造形が外に向かっているから。それ自体が成熟だと私は思う」とおっしゃってたのが印象に残りました。
型を決めて、その中で洗練を目指していく動きもひとつの成熟だけど、与えられた材料や土地などに臨機応変に対応しながらダイナミックに造形を展開させていく動きもまた成熟である、というのが、なんかぐっときた。
専門の職能として大工がいなくて誰もが大工仕事をするとか、デザイナーが個人でなく共同体であるとか、家はそこに住む人のものではなくてもっと大いなる流れの中にある場であるとか、この南太平洋を船で行き来してきた水の人々の文明がちらちら見えるような気がした(水の人々の文明については、わたしの印象でしかないので、根拠ないところですが[E:#x1F4A6])。
ご本人たちは生活の必要に迫られてやっているはずだけど、でも手を動かすことはやっぱり「やりだすと楽しい」って(電車で会った編み物のおばあさまみたく)あるのかなあ、と思ったり。
帰宅してから検索して出てきた、現地でスンバ島の家づくりを見てきた方の感想が大変興味深かったのでした。家をつくるという、集団でやる活動なのに、統制・統率という概念がなさそうなこと、「いいかげん力」がはんぱないらしいこと……!
生産者と消費者が同一っていうのは、今自分が傾倒してるグリーンウッドワークの、スウェーデンの木工の伝統(Slöyd)でもおんなじで。。そもそも生産者と消費者というふうに分けられはじめる前の時間は、今わたしに想像できる以上の、独特なクオリティがあったんじゃないか、となんとなく思っているところ。
「南の島の家づくり展」はこの後、神戸の竹中大工道具館へ行きますー。10月から12月始めまで。