ねこの(ち)ちゃんをお見送りしたときに持参したダウンのひざ掛けとウールのストールを、実家に忘れてきた!と思い出し、送ってもらうようにお願いしてたのが、さきほど届いて、包みを開けたら、父からの「岩合光昭のねこ」のハンカチが入っていました。
わたしはねこグッズが特に好きなわけでなくて(実在する、家族だったり知り合いだったりするねこが好きなだけで)、なのでちょっと微妙な気持ちでハンカチを広げてみたら、そこに写っていた2匹のねこのうち1匹が、亡きにゃみちゃんによく似ていて、なんかうれしかった。。。
うれしい、と感じたのが意外でした。
にゃみちゃんが、今回のことで気がふさいでる自分に、向こう側から気を送ってくれたサインのような気もした。
昨日の晩も気がふさいで、なぐり書きをしながら眠気に襲われて、そのまま寝たのでした。こんなこと↓を書いてたから、にゃみちゃんまで、わかりやすくサインを送ってくれたのかも、なぞと思う。まだ一緒にいるよ、いなくなっていないよ、とでもいうように? ねこのみんなはいつも、行動で示してくれるもんなあ。。。現実でも、夢の次元でも。
* * *
久しぶりに自転車で商店街まで走った午後
この世界にもう(ち)ちゃんがいないことがしみしみと感じられて
さみしさが、やってきた
ねこ族を家族に迎えてから34年
とうとう最後のねこ族の家族が旅立って
うちの家族の中に、ねこがいなくなってしまった
資質も姿も三者三様だったねこのみんなは
それぞれ18年、24年、23年、一緒にいてくれて
どんなにかお世話になってきたことか
それはもう、みんなに感謝しかありません
この先、ねこのみんななしでやっていけるのか、自信がないな。。。
でもいつまでも頼ってばかりいてはいけない、とも思う
生き物として、自分も、成長しないといけないよ、と
でもほんとうに、もう無理だよ、もう限界、という気分もあって
いつもなら、なぐさめになるはずの音楽さえも、受け付けず
仕事も山積みなのに、やる気も出ず
今はただ、眠っていたいような気分で
だめにんげんだなあ。。。
ここから見ると、人の世は、はなはだ浅はかに見えて
みんな一生懸命なんだなあってわかるけど
でもわけがわからない
わけなんてないのか。。。
ねこのみんなは
紐の一端を握ってくれていたかのようでした
迷子にならないように
この世がわけのわかる場になるように
ほかにはなんにもいらない、となんどもおもった
外の世界の全部
正直になれば、もともこもないくらい
ただただ頼りにしていたんだな
近くにいるときも、遠くでも
いつでも必ず、こたえてくれてたね
ありがとう
***
平常の意識の(ち)ちゃんと最期に会ったのは、ひと月前くらいに実家に寄ったときで、その数日前にごはんをあまり食べなくなっていると父から聞いていたので、だいじょうぶ?と聞きにいきました。本人は大丈夫そうにしていた。
で、大丈夫そうだけど、もしなにかあって、ケアが必要になったりしたら、うちに引き取りたいと思ってたので(兄ファミリーがずっとお世話をしてきてくれてたけれど、それ以上のケアが必要になった場合、義姉はねこアレルギーがあるからきびしいと思って)、(ち)ちゃんにそのとき、「大好きだからね、いつでもうちに来ていいからね」と声をかけたら、(ち)ちゃんはゴロゴロ喉をならして、わたしの手の甲と指をぺろぺろ舐めてくれました。
(ち)ちゃんに急な症状が現れたのは、金曜夜で(でもたぶん金曜朝から金曜夜まで同じ場所にいたらしいので、おそらく発症は木曜深夜から明け方かと)、木曜は母の命日でした。
その木曜日に、母が亡くなってからも実家で兄ファミリーと同居を続けていた父が、生活のメインの拠点を別宅のほうに移したい、それに伴って(ち)ちゃんを別宅に連れていきたい、と兄ファミリーにメールで伝えていたことを後で聞きました。
姪っ子や甥っ子は(ち)ちゃんをかわいがっていて、兄ファミリーとしては、(ち)ちゃんを別宅に連れて行くのだけは保留にしてほしいと返事をしたそうでした。
そんな中で、(ち)ちゃんの両脚の麻痺が起きました。血栓症の突然の症状で。
(ち)ちゃんは、父も、兄ファミリーも、どちらも大切に思っていたからこそ、どちらの側に行くわけにもいかない、と思ったんじゃないだろか。。。そう思えて仕方ありません。脚が動かなくなる、ということにもそれが端的に表れていたように思います。
亡くなる最期の晩、深夜に乱れた呼吸で力をふりしぼって、麻痺した後両脚をひきずりながらずり這いしては倒れ、しばらく休んでからまた這っては倒れしながら、彼女が向かっていこうとしていたのは、まず、父の部屋でした(父は別宅にいて不在でした)。父の部屋への引き戸の敷居をまたぐあたりまで行って、こんどは逆向きになって、反対側にある、階段へ向かうドアの方向へ(階段の上は兄ファミリーのみんなが眠っていた2階フロア)、同じように這っては倒れを繰り返しながら、向かっていました。
暗く涼しい所に行きたいという欲求だけで、ずり這いを繰り返していたのだったら、父の部屋の方向にたまたま向かっていただったら、そのまま部屋に入っていけばよいことでした。敷居はほぼバリアフリーだったし、フローリングは同じようにひんやりしていたはず。。
身動きがあんなに大変なときに、わざわざ逆方向へ向きを変えて、階段の方へとずり這いしていったのが、偶然だったとは思えずにいます。体の逆の側面を下向きにしたい、という欲求で、逆向きになった、ということも考えられるけど、それならその場で左右の向きをかえればよいことで、後脚と頭を入れ替える形で逆向きになるほうが大変です。(実際、階段へ向かって這っていく長い過程の中で、左右に向きを変えてはいました。となりで寝ていたわたしのほうを向いたり、壁のほうを向いたり。壁のほうを向いたときには、わたしは(ち)ちゃんの背中に愉気をしていました)。
最後は、階段へ向かう入口(開け放してありました)まであと少しのところで、こちら側を向いて、息絶えました。
ねこは死ぬときにはひとりになりがたる、と言われるけれど、それは違う、涼しい地面、涼しい場所を探しているだけで、旅立ちのときは家族と一緒にいるほうが安心する、と書いてある記事を、後になって読みました。(ち)ちゃんが、あんなに息苦しいなかでとった行動を振り返っても、わたしたち家族に最後まで、心を開いてくれていたような、気がしています。
まあ、ほんとのところは、本人のみぞ知るところだけれど。。わたしはやっぱり、ねこのみんなのやさしさの深さに、いつも驚かされて、いつも助けられてきて、ただありがとう、としか思えないです。