「猫の額庭」にくるシジュウカラのみんなが、「ひまわりの種がもうないねえ」と話している気がして、今日は近所にある、古い店構えの小動物用品店へ自転車を走らせました。
いつも店先の一番目立つところに積んである、なんのラベルもないただの透明のビニール袋にどさっと入ったひまわりの種を1袋もってレジへ。
おじさんは「だれにあげるの?りす?」と言うので、「いえ、シジュウカラです」と言ったら、すぐさま思い出したように「そうだね、シジュウカラだったね!」と笑顔に。野鳥にあげる、と聞くといつもおじさんは特にうれしそうな顔をする。。
おじさんとこのひまわりの種は1袋300円なのにどっさり入りすぎていて、一度買うと、次に買うまでしばらく間があくから、そのあいだにおじさんの記憶はちょっとあやしくなるようだったけど、すぐ思い出してもくれるのでした。
「お代は3万円です」などと冗談をおっしゃって、わたしの300円を受け取られた。
こないだホームセンターで見た、市販のきれいなパッケージに入った小鳥用ひまわりの種は、280円くらいでおじさんとこの半分も入ってなかったのを思い出しつつ、お支払い。。。
「また買いに来てね」と言われて、「はい、それまでおじさんもお元気に」と言ったら、「いやあ、もういつまでもつか、わからないよ」と笑いながらおっしゃった。
おつりをくれたときのおじさんの手指が腫れぼったかったこと、ちょっと気になった。。。
前に、わたしの自転車を見て、若いころは僕も自転車が好きでねえ、こんなのやあんなのに乗ったんだよ、と話してくださったことがあったっけ。
控え目なのにおちゃめなおじさんは、こじんまりとしていて空気の通りも悪い、このお店の奥で、カウンター向こうのせまいすきまに座って、ラジオを聞いている、たいてい。
おじさん、好きなスポーツ自転車に乗ってぱーっと風の中を走ったりできたらよいのになあ。。
と思って、すぐ、異種間コミュニケーターのアンナ・ブレイテンバックさんから前に教わったこと、思い出しました。
動物園の動物に対して、不憫に感じたりした場合に、こうするといいですよ、と教えてくれたことなんだけれど。
不憫の気は、ほんとうに不憫な境遇にいる動物にとって、さらに負担になっちゃうから、快くてほっとするような気で自分を満たしてから、それを相手の頭上めがけてアンダースローで放り投げるようにしてみましょう、と、うろ覚えだけど、そんな感じのことでした。
これを応用してみると、私自身が、その風の中を自転車で走ってるときみたいな爽快感、愉快感、快適さを思い出して、その感じを自分の心身全体にめいっぱい満たしておいてから、それをほいっと、おじさんの頭上めがけてアンダースローで放り投げてみたらよいのかな。
受け取られるかどうかはわからないけども。。
* * *
で、気ってやっぱり、そういうふうに作用するんだろう、となんとなく確信する。
来場者が増えてきたので、相方が見ている束のほうへ移動して、相方が繰っていくのを隣で見はじめたんだけど、次々と自分の前に絵が差し出されてくる、それが、次々と料理の乗ったお皿が目の前に置かれるのとちょうど同じような感じになっていって。
しまいには、わんこそば状態で、ちょっとくらくらした。
今回は坂口さんにお目にかからずに帰ってこよう、と思って、ほんとに絵だけ見に行こうと思ってたのだけど、絵の枚数がありすぎて、見終わらないうちに坂口さんがギャラリーにやってきてしまって。ご本人がいらっしゃるとまた、うたもうたってくださるし、もうたいへんです。
んで、あんまり長居せずに、帰ってきたのだけども。家に帰っておゆうはんを食べた後、久しぶりにぐったりしてソファでがっつり宵寝しました。強制終了かかった感じで。
たくさん宵寝したのに、夜もしっかり眠って。そしたら翌日から、なんか、関心と興味のアンテナがまたちょっと働き始めた感じになって、しんとしてるようで心の奥のほうではなにか動き出してるような感覚が来ていて。
あのぐったりは、好転反応みたいなものだったんだろか、と思うにいたりました。
やっぱり気の交感っていうのは、あなどれないんじゃないだろか、と思う。。
坂口さんの絵、ひまわりの種と同じくらい、1粒万倍、なところがありそうな。。?
もすこし、ここらへんのことを大切にしながら暮らさないとだなあ、忘れっぽいじぶん。